関門海峡。
本州と九州を隔てる海峡である。
両岸の距離は大きな川幅位でしかなく、九州側の岸から、本州をはっきり眺めることができる。
船が海外との唯一の交通手段だった時代、この海峡の先に続く瀬戸内海は、大陸と奈良、京都を繋ぐ重要な水路であった。瀬戸内海は、太平洋や日本海などの外洋と異なり、島で囲まれているために、穏やかで、安全な船の航行に適している。
しかし、瀬戸内海をそのような交通路として機能させるためには、この狭い海峡を抜けなければならない。
この狭まった海峡では、人為的にその通行は妨げることができる。そのため、瀬戸内海を大陸へ続く道として利用するためには海峡の両岸の地域にいる人々の了解を得なければならず、この地域の人々と敵対関係であれば、この海峡を簡単に通り抜けることはできなくなる。
例えば、平家は、京都から瀬戸内海を渡って逃亡したが、この海峡を抜けられず、この海峡に面する壇ノ浦で滅亡した。
関門海峡から考える古代日本の成立過程
邪馬台国の再考
「魏志倭人伝」に記述されている邪馬台国の位置をめぐる論争は、畿内説と九州説の二つの学説があり、いまだ決着がついていないといわれている。
ただし、その論争は、倭=日本という固定観念を前提として、弥生時代の日本について記述された「倭人伝」にある邪馬台国が、畿内か九州か、どちらにあったのか、という枠組みの中で行われている。
しかし、その枠組みを正しいといえるのだろうか。
国や国境そして、言葉とそれが意味するものは、時代により変化する。
日本において、「魏志倭人伝」と呼ばれる記述は、中国の歴史書『三国志』中の「魏書」第30巻烏丸鮮卑東夷伝倭人条の略称であり、「魏書」という歴史書のうち、東の未開の国を記した章の一部に過ぎない。
そのため、そこに記述されている「倭国」や「倭人」が、現在の単一民族される日本のことについて記述しているわけではない。
魏書が書かれた時代に、そのような国家感はなかった。
それゆえ、倭=日本という先入観を外して、もう一度、別の枠組みの中で再考する必要があるのではないか。
Read more »追悼坂本龍一:横断と接合の音楽家
坂本龍一が、生涯を通じて追求したのは、異なる領域の横断と接合という思想である。
坂本龍一の作品には、定まったスタイルがないと言われる。しかし、初期から晩年までの作品を通して聞き直してみると、一貫した根底にある思想を理解できる。
YMOにおける人と機械、アコースティックと電子機器。80~90年代のクラッシック音楽とポピュラー音楽。「戦場のメーリークリスマス」から始まり晩年まで継続された映画音楽の制作を通した映像と音楽。晩年の音楽・音・ノイズ。その他、政治との関わりなど。
それぞれの年代で、異なる領域を横断し、既存の領域に他分野の異物を持ち込み、接合しようとした点で一貫している。
そして、亡くなった今も、その活動は継続している。
今回公開された自身の葬儀で流すプレイリストや闘病生活の記録、死後も続けられるSNSアカウントの更新も、生前本人がデザインしたものだろう。
生涯通じて追及してきた思想に基づき、生と死の横断と接合という最後の作品を作り出そうとしている。
CPUクロック周波数の推移
CPUクロック周波数の時間的変化を示したグラフ。
1985年から2000年代前半まで上昇しているが、その後伸び悩み、3GHzあたりで頭打ちになっている。
つまり、2000年代前半をもって、コンピュータの処理速度という技術開発のフロンティアが消滅した。
円安の経済効果
貿易収支が黒字の国は、外貨を安く買えた方が、国の総体としては有利である。
今円安になっている日本は、どちらなのか?
グラフは、日本の輸出入総額総額の年ごとの推移を示している。輸入と輸出の総額は、年ごとに異なるが、直近ではほぼ輸出入が同程度となっている。
円安によって、不利益を被るのは、エネルギー産業など製品を輸入し国内で販売する企業。
一方、原料を輸入し、加工して輸出する企業の利益は、円安により増大する。
つまり、為替の変動により、利益を受ける産業と損害を受ける産業、どちらも存在する。
円安の結果、輸入産業における原料コストがアップし、物価をあげざるを得ないとすれば、それに対応する様に、円安によって利益を得る輸出産業に従事する企業において、利益を市場に還元するようは社員への給与アップがなされるべきである。
そうすれば、為替変動の影響は、相殺され、貿易収支が黒字であれば、国全体としてはむしろ有利に働く。
にもかかわらず、現在、世論として円安のデメリットだけがフォーカスそれ、物価高容認の空気を作り出されている。その結果、輸出産業に従事する企業が円安のメリットを享受し、消費者はデメリットだけを負担させられている。
ドイツDFリュディガーの走法について
サッカーW杯日本xドイツで、ドイツのDFリュディガーの浅野選手と競り合ったときに見せたステップが、”奇行”といわれている。しかし、これは陸上の短距離選手が使う「スプリント」という短距離を速く走るための技術ですね。
未だ、あまり知られていないものの、既に一部の陸上の短距離選手が用いる走法だ。
ネットを検索してみたが、このことをまともに指摘している記事はほとんど見当たらない。
リンク先のYOUTUBEはそのことを指摘した数少ない記事。
中継中に解説だった本田圭佑が、「性格のよくない走り方」と説明して、「煽り」「侮辱」などと、リュディガーへの批判の声が上がっている。
いち早く「スプリント」走法をサッカーに取り入れたリュディガーに対して、このような批判がされるのは、完全に間違っている。
単に、世間に、「スプリント」という走り方が、未だ正しく理解されていないことが原因だ。
世間の常識に抗って、本当に新しいことを行った場合、このような批判を受けることがある。
今回のリュディガーへの批判は、その一例。
水野和夫著『次なる100年』
・経済成長が、なぜ止まってしまったのか?
・今後も、経済成長は続くのか?
・株価が上がり、好景気と言われるのに、ほとんどの人たちの収入はなぜ増えないのか?
普段感じている疑問に、過去の経済学の成果の他、現在入手できる各種の統計データ分析などにより理論的な根拠を示して説明してくれます。
これまでの経済成長ありきの近代の常識では、現在のゼロ金利の状況を「例外」として、いつかまた経済成長(利子の増加)が始まると捉えられています。
ところが、この本では、ゼロ金利が1600年のイタリア以来の状況であることを指摘したうえで、投資先がなくなったことにその原因を求めます。
ゼロ金利は「例外」ではなく、近代の経済成長により隅々まで投資がいきわたった結果、投資先がなくなった結果生まれた「歴史的必然」であり、今後は、近代とは全く異なる段階として、成長が止まり変化のなくなる時代になるだろうと予測します。
ただ、このような論の枠組みは、これまでの著作でも提示されており、過去の著作に親しんできた人にとって、目新しくはないかもしれません。
そこで、特に過去の著作と比較して、この本の新しさを記載しておけば、大幅にページ数を増やして論じられている緻密なデータ分析に基づく説明にあると考えます。
例えば、GDPが増加していないにも関わらず、企業のROE(自己資本利益率)が増加している原因を、人件費の圧縮にあることをデータ分析から解読してくれます。
著者は、証券会社でチーフエコノミストを務めていたという経歴をお持ちです。
著書の中で披露されているデータ分析は、著者の経歴にも大きく関係があるでしょう。
これまでの経済学者による経済学は、過去の理論の再解釈や批判による経済の説明でしたが、この本は、過去の書籍よりも生の公表データを独自に分析し直して、結論を導き出します。
また、そのような方法は、現実を正しく認識するための根拠として、これまでの抽象的な理論だけで論じられる経済学より説得力を持っています。
そして、客観的なデータの分析により導き出される結論は、現実に起こっているゼロ金利を、近代の論理から外れていることを根拠に「例外」として無視するのではなく、「必然」として認識し、それを合理的に説明できる理論を踏まえて、1600年以来の歴史的な大きな変化に対応していくことの必要性です。
庵野秀明脚本・総監督監督「シン・ゴジラ」(2016)
庵野秀明脚本・総監督監督「シン・ゴジラ」(2016)を観ました。
いうまでもありませんが、1954年に公開した特撮怪獣映画『ゴジラ』のリメイクです。
ただ、単なるリメイクではなく、「シン」という言葉が頭についている通り、現在の社会状況を踏まえた新しいゴジラの映画になっています。
これまで怪獣としてだけ有名になってしまったゴジラですが、本来隠喩しようしていたものを、改めて明らかにしてくれます。
ゴジラは、1954年のアメリカによるビキニ島で行われた水爆実験の犠牲となった第五福竜丸事件がきっかけになって制作されたと言われています。
ただ、2011年以降、原発事故を経験したことで、核技術への不安は1954年とは違う形に変化しました。その不安を、2016年に公開された「シン・ゴジラ」は表現しています。
原発事故で表面化したアメリカと日本の関係や官僚機構、御用学者。
そして、冷却水をかけるためのコンクリートポンプ車やヘリコプターによってつるされたバケツ、汚染水を確かめるためのバスクリン、など。
高度といわれていた核技術の事故に際して使用された予想外のローテク。
2011年に経験した現実が、そのまま映画の中にはめ込まれています。
また、核技術に対する不安の隠喩としてゴジラを眺めると、凹凸の激しい黒焦げたゴジラの外観は原爆投下後の広島・長崎の風景やそこに転がる死体をモチーフにしたものだと感じました。
上の画像は、映画の最後のシーンで登場する「シン・ゴジラ」の尻尾の拡大図です。
尻尾の先端には、黒焦げた皮膚に形成される前の状態として、人の死体が表現されています。
映画では、ゴジラは鎌倉から上陸し、最後は東京駅から西側に向かおうとするところで、活動を停止します。そもそも、ゴジラはどこに向かおうとしていたのだろうか?
ゴジラの尻尾の先端部分の形状に象徴されるように、もしゴジラが核兵器や放射能の汚染により犠牲になった人や生物の化身であるとするならば、原発事故に際して沸き起こった反原発デモのように、国会議事堂に向かって歩行していたのではないだろうか。
2011年に東日本大震災が発生してから10年以上経過して、薄らぎつつあった記憶が、この映画により再び思い起こされました。
原発事故を踏まえたゴジラのリメイク。
ゴジラによる原発事故や核技術の隠喩。
BS1スペシャル「独占告白 渡辺恒雄~戦後政治はこうして作られた」
https://www.nhk-ondemand.jp/goods/G2020106406SA000/
お勧め動画。
「ナベツネ」
読売新聞のトップ、巨人のオーナー。
これまであまりいいイメージを持っていなかったのですが、この動画を見ていて、カントの哲学が彼の行動規範になっていて、今自分としても関心のある問題に向き合っていたのではないか、と急に親近感を持ちました。
渡辺恒雄は、東大の哲学科出身で、専門はドイツ哲学。
実際に、動画の中でも、カントの付箋が貼られた「判断力批判」が出てきます。
徴兵され、酷い仕打ちを受けた戦争体験と、それを繰り返してはいけないという理想としての反戦、平和。
いっぽうで、新聞記者として目のあたりにする現実への対応しての、泥臭い積極的な政治への介入。
ナベツネが置かれていた状況とは比べ物にならないまでも、僕も、プロジェクトマネージャーとして、これまでより大きいプロジェクトに関わると、当然、関わる人間の数が増え、業務がより政治的になってくる。
1人で出来る読書や、あるいは少人数の仲間で出来る作品制作なら、プロジェクトを個人の意思である程度コントロールすることができるかもしれないが、大人数が関わる政治や巨大プロジェクトとでは、それができない。
いろんな考え方をする人が多数かかわることで、状況はカオス化する。思い通りにプロジェクトは動かない。
その結果、理想をもった個人は、自分が抱く理想と、大多数が関わる現実とのギャップに向かい合わざるを得なくなる。そのギャップを埋めるための現実で行動するべきか、が問題となる。
カントの哲学は、そのような状況での行動規範になる。
「ナベツネ」のとった現実への対応が、理想に向かう道筋として正しかったか、どうかはわからない。
ただ、この動画をみて、「ナベツネ」のことを今どきの巷の哲学者や評論家より、よほど哲学的な人だ、と、これまでのイメージを一新させられました。
斎藤幸平著『人新世の「資本論」』
マルクスの「資本論」を環境問題に接合し、持続可能な社会を「脱成長コミュニズム」への変革によって、達成するべきだと主張する。
多くの人たちに読みやすい体裁とするため、難解な議論は省かれているが、ソ連の崩壊によって、廃れてしまったマルクスの思想に、環境問題解決のための理論としての可能性を見出そうとしている点で、注目される。
商品は、人の労働を媒介して、自然を加工することで生産され、その後、貨幣を媒介して、人と人との間で交換される。つまり、商品は、「自然と人」、「人と人」、という二つの関係の上に成立する。
従来、マルクスの「資本論」は、後者の「人と人」との関係を扱う経済理論の書として捉えられてきたが、本書では、マルクスの「資本論」に、前者の「自然と人」との関係を検討していた点が提示される。
しかし、なぜ、これまで多くの研究者によって、研究されて尽くしてきた思われる「資本論」に対して新しい解釈が可能なのか?
本書によれば、「資本論」第一巻はマルクス本人の筆によって執筆され、1867年に刊行されたが、その後、第二巻、第三巻は、マルクスの資本主義批判に関する苦悶の中で、未完で終わってしまった。そのため、現在出版されたものは、エンゲルスがマルクスの遺稿を編集したものに過ぎず、第一巻刊行後にマルクスが遂げた理論的な大転換が、隠蔽されてしまっている。
ところが、近年MEGAと呼ばれる新しい「マルクス・エンゲルス全集」の刊行が進んでおり、晩年のマルクスが残した 地質学、植物学、科学、鉱物学など自然科学に関する膨大な研究ノートが、新たに加えられている。そこでは、「過剰な森林伐採、化石燃料の乱費、種の絶滅などエコロジカルなテーマを、資本主義の矛盾として扱うようになっていった」と理解できる、という。
先に述べた通り、商品は、人の労働を媒介にして、自然を加工することで生産される。環境問題とは、その過程で発生する。
よって、今後は、これまで、別のものとして扱われてきた環境問題と労働問題が、「資本論」を介して理論的に接合されることになる。
また、革命はブルジョアジーとプロレタリアートの階級闘争により達成される、と考えられてきたが、地球温暖化や放射能による汚染、食糧危機など、生物としての生存条件が棄損されるような事態に対して、人々が生き延びるためにやむを得ず蜂起することになるかもしれない。
物質循環を維持するために必然的に革命が行われる。
このような考え方こそ、史的唯物論というべきだろう。
新型コロナウイルスに関する数学的考察2
新型コロナウイルスについて。続き。
「再生産指数(RO)が1.0以下になれば、指数関数的に感染者数が下がる。」
先の投稿で、このようにと書いたのだが、現実的に、そんなことが可能なのか? 再生産指数(RO)が1.0以下とは、平たく言い換えれば、ある感染者が一人以上の人にはウイルスを移してはいけない、ということである。
自覚症状のない人は、無意識のうちにウイルスをばら撒いているはずであり、感染者を完全に隔離できない状況で、再生産指数1.0以下はほとんど不可能ではないか。
指数関数(F(x)=N^x, N>1.0)では、X値をすこし変化させただけで、簡単に天文学的数字に達してしまう。 だとすると、いくら対策を練ったところで、感染の拡大は避けられそうにない。 できるとすれば、その速度を多少送らせることくらいである。
(もちろん、最終的な解決法は、ワクチンの開発しかないとしても、時間稼ぎによって、多くの命が救われる。)
https://web.sapmed.ac.jp/canmol/coronavirus/index.html
先に紹介した札幌医科大学で作成されたグラフにおいて、どの地域でも訪れる平衡状態は、やはり感染防止対策によるものではなく、感染拡大の上限値に達したと考えるべきだろう。 その場合、その上限値がなにによって決まるのか。
このグラフをよく見ると、ヨーロッパの国々の感染率が高く、中国、韓国といったアジアは低い。 これは、生活習慣や人種による抗体の性質によるものだろうか。 もう少し掘り下げてみれば、何らかの関係性が見つかるだろう。
いずれにしても、これは、数学的に把握できる問題だと思う。
新型コロナウイルスの感染拡大に関する数学的考察
新型コロナについて、感染者数は、完全に数学的に増減するものと考えられる。
平均的に感染者が、何人と接触して、その内の何割が実際に感染してしまうか。
仮に、1人から2人、2人から4人、と感染すれば、以下のような式で拡大していく。
感染者数=2x2x2x2x・・・・
この式の「2」にあたる数値を「平均的な感染拡大率」と定義すれば、「平均的な感染拡大率」が1.0以上であれば、指数的に増加していくし、1.0以下であれば、同じく指数的に減少していく。
そのような数学的な関係から、現在の行われている緊急事態宣言によって、外出や人との接触の機会が減れば、感染拡大防止に効果がある。
例え、1.0以下にならなくても、1.0に近い値に出来れば、感染者拡大の速度を遅らせることはできるだろう。
また、5/6までと定められた緊急事態宣言が延長されるか否かが話題だが、たとえ、現在の緊急事態宣言の効果で一時的に減少したとしても、ウィルスが存在する限り、それを解除して元の生活に戻れば、感染者数は再び指数的に増加し始めるはずである。
とすれば、絶対に5/6以降も解除は出来ない。
もし、解除出来るとすれば、ワクチンなどが開発され、ウィルスの致死率が減る時ではないだろうか。
一方、下記のリンク先にある札幌医科大学医学部による感染者数の各国の推移を示すグラフは、どの国もあるレベルまでは一気に増えるが、ある値でキレイな平衡状態に至ることを示している。
https://web.sapmed.ac.jp/canmol/coronavirus/index.html
この現象についても、同じく数学的に検証できると思う。
例えば先に述べたように指数的に、感染が増加し続けるのは、人々が無限に存在する場合のみである。
なぜなら、1度感染した人には免疫が出来るため、1度感染し回復した人が、2度目の感染の機会があったとしても、ウィルスはそれ以上広がらない。
つまり、現実の世界は有限であるため、次に一度感染した人の存在が一定の割合まで増加すると、感染の拡大にブレーキをかけ始める。そして、いつか感染拡大とブレーキとが平衡状態になるはずである。
それが、このグラフの示す平衡状態ではないだろうか。
だとすると、結局のところ、この一度指数的に拡大し後に平衡状態に至るこのグラフは、ウィルスを抑え込むことはほとんど不可能で、免疫力を作り上げた者だけが生き残れることを示しているのかもしれない。
よって、最も効果的なウィルス対策は、風邪の予防と同じである。
結局「よく寝てよく食べて免疫力を上げる」ことしかない。
その意味で、非常事態宣言により、家でのんびり過ごし、普段疲れている身体をゆっくり休めるのは、かなり的を得たウィルス対策なのである。
新型コロナウィルスについて
今日は、買い物に出かけてきたが、多くの店が閉まっており、人通りも少ない。
新型コロナウィルスは、直接感染すること以外にも、経済や実際の日々の生活にも、大きな影響を及ぼし始めている。
世界がグローバルに繋がった結果、ウィルスもグローバルに拡がり、その対策として、一度繋げた交通を遮断せざるを得なくなった。
人や物が往来すれば、必然的にそれに乗って疫病も拡散する。
交通によって、世界が近くなったこととコロナウィルスの拡散は、グローバル化の表と裏あり、一つの事象として、分けられない。
これまで、AIDSやサーズなど、伝染病蔓延の予兆はあったものの、交通がここまで大幅に遮断されたのは初めてである。
新型コロナウィルスの致死率は数パーセント程度であるが、ペストは蔓延した地域全人口の1/3から1/2が死亡したという。
そのような疫病が今後発生し、全世界に広がったことを想像するとゾッとする。
3.11の大地震により、人間のコントロールできない自然の力について、東日本の人たちは経験させられたが、全世界に拡がった新型コロナウィルスは、それ以上のインパクトを与えはじめている。
緊急輸送道路図/緊急輸送道路沿道耐震化/ 沿道建築物の建替え工事・除却工事助成
耐震改修促進法では、都や区市町村が耐震改修促進計画で地震時の建築物の倒壊による通行障害を防ぐべき道路を定め、その沿道建築物の耐震化を促進することとしています。
このため、都は、特定緊急輸送道路を耐震改修促進法第5条第3項第2号に基づく「建築物集合地域通過道路等」として位置付け、同法第7条第1項第2号により特定緊急輸送道路沿道建築物を「要安全確認計画記載建築物」として耐震診断の実施を義務付けています。
「板橋区 特定緊急輸送道路沿道建築物の建替え工事・除却工事助成」
助成対象建築物(次のすべての要件を満たすものです)
建設時期・構造等昭和56年5月31日以前に建築基準法第6条の規定による建築確認を受けた建築物であること。
鉄骨造、鉄筋コンクリート造、鉄骨鉄筋コンクリート造の建築物(プレハブ構造は除きます。)であること。
特定緊急輸送道路の境界線までの水平距離に、道路幅員の2分の1に相当する距離を加えたものに相当する高さであるもの。
建築基準法第10条に基づく命令を受けていないこと。
原則として検査済証の交付を受けたものであること。
耐震診断の結果Is(構造耐震指標)の値が0.6相当未満であること。
Great Pyramid of Tokyo
未来都市構想のためのスケッチ(東京湾)
未来都市構想スケッチ。
将来の東京湾。
・維持コストがかかる鋼管矢板の護岸を最小限にする。
・ピラミッド状に立体化した埋め立てを行い、廃棄物の埋立容量を最大化する。