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アドルフ・ロース「建築について」

建築家のデザインが図面や模型などの二次メディアによってしか評価されないものだと、すでにアドルフ・ロースは20世紀初頭に批判していた。

建築家はなにかというとすぐ本を参照する。大量の書物が建築家に知識を与えるのだ。またこれらのおびただしい程の大量の巧みに作られた出版物が、我々の都市文化にいかに大きな悪影響を及ぼしたことか、それによって人が以下に自分で思考することが妨げられたことか、といったことを人は考えて見たことはない。そして、建築家にとってある形態があまりに印象的で、脳裏に焼きついているため、それを頭に思い浮かべながらスケッチするか、あるいは「芸術的想像」の間中、参照する本を自分の手元に置いていなければすまないか、二通りの場合があろうが、いずれの場合でも結果は同じである。効果は常に同じである。そしてこのひどさは無限に拡大していく。どの建築家も、自分のものが新しい出版物に掲載されるように試みるし、多くの建築雑誌はこうした建築家の虚栄心を満たしてくれる。こうした事情は今日においてもなんら変わりはない。
 しかしながら建築家が建築職人を押しのけるのも、それだけの理由からではない。建築家は図面を描くことを学んだのであり、他に何も学ぶことがなかったから、図面を描くことくらいは出来るようになった。職人はこれが出来ない。職人の手は重く、こわばってしまっているのである。また昔の棟梁が描いた図面の線も軽快ではない。工芸学校の生徒なら誰でも、それより上手に線を引く。そしていわゆる達者な図面描きが、建築設計事務所から求められ、支払われる給料の高いのである。
かくして建築は建築家によってグラフィック美術に堕落させられてしまったのである。もっとも多くの設計の仕事を得るのは、最良の建築を立てる建築家ではなく、図面の上で最も見栄えがよい仕事をするする建築家なのだ。そしてこの両者はまったく相反するものなのである。

アドルフ・ロース「建築について」『装飾と犯罪』p122

主要50雑誌の「部数激減(秘)データ」

主要50雑誌の「部数激減(秘)データ」マスメディアの衰退を示す資料をネット上に見つけたので、リンクを貼っておきます。これからは、マスメディアが衰退し、さまざまな通信手段を使った実にメディアが乱立する状態になるのではないか。そして、いうまでもなく、マスメディアが作り出してきた「有名人」「スター」といった存在も消えていく。建築界においても、それは同じ。「新建築」や「GA」といった建築メディアが作り出してきた「スターアーキテクト」という枠がなくなっていく。公共建築やファッション性の高い建物に「スターアーキテクト」を起用することによって、「建築を芸術作品化」してきたが、「スターアーキテクト」という枠が消えるとき、建築はどのように作られていくのか?結局は、これまで建築家を「先生」と呼んで、その業務領域だけは建築家に任せていたゼネコンが、すべての業務領域を支配することになる可能性が高い。では、ミニメディアがつくる小さいコミュニティが新しい建築をつくるきっかけにならないのだろうか?小さなコミュニティが集められるお金は、コミュニティのサイズに比例するはずだ。であれば、小さなコミュニティの中で住宅クラスの建物やその建設プロセスを含む活動などを「芸術」として、認定できるような小さいメディアを作り出す試みが必要だといえる。

AとBの起源-牛と家

現在の「A」はセム語の「アレフ」、つまり牛からきており、セム人はヒエログリフの「牛の頭」にあたる文字をあてました。同様に「B」は、「ベート」つまり「家」で、ヒエログリフの「家」に当たる文字をあてました。アルファベットはこの最初の二文字をを合わせた言葉です。これら原シナイ文字アルファベットは、フェニキア文字に発展し、ギリシャ文字やラテン文字、そして現在のアルファベットへと発展したのです。一方フェニキア文字はアラム文字となり、アラビア文字、インド、チベット、満州文字へと発展し、朝鮮のハングル文字にまでその影響が及んでいるということです。(吉島重朝著『印刷よもやま話』P8)

生活の基礎として「衣食住」といわれますが、食に関わる牛と住に関わる家は、アルファベットの最初の二文字、AとBの起源にもなっているらしい。

マスメディアの衰退

TBS、赤字転落へ 広告収入が減少で22年3月期広告代理店2社:博報堂が統合以来初の最終赤字 9月中間TBSに続いて、電通、博報堂の大手広告代理店も赤字になった模様。おもな原因は、不況による広告費の削減と言われているが、これも、世界の大きな変化の兆しのように捉えられないだろうか。予算を削られれば、テレビ局は、予算の掛からない番組づくりをせざるをえない。キャスターや政治家、評論家への出演料だけで作ることができるニュースや政治の討論番組、タレントへのギャラだけで作ることができるお笑い番組が、増えているのは、そんな理由からだろう。また、「ウルトラマン」(1966年放送開始)や「ヤッターマン」(1977年放送開始)など、30年~40年前の番組のリバイバルが目立っている。昔の番組のリバイバルが、より多くの人たちの人気を得られるのだとすれば、現在のテレビは、すでに多くの人に共有されるような物語が作る力がなくなっているということでもある。さらに、デジタル放送に完全に移行する2011年7月までに、テレビを見たいすべての人ひとたちは、デジタルテレビに買い換えなくてはならない。しかし、お笑い番組と政治討論番組を見るために、どれだけの人たちがデジタルテレビを買うのだろうか、疑問をもつ。2011年の7月は、テレビの完全デジタル化の時であると同時に、テレビ文化の終わりのときになるのではないのか。