「+1 FOOTBALL MATCH」について

このブログ、何を書いていくべきか、悩むところですが、まずは気軽に日々感じたことなど書いてみるしかないかと思います。そういうことで、 今回はサッカーについて。。。。建築とも芸術とも直接関係ないわけですが。先週の土曜日、6/7は、W杯アジア地区三次予選の日本xオマーン、ヨーロッパ選手権の開幕戦などサッカーファンにとって大切な試合がいくつかあったんですが、そんな”ハイレベルな”試合より僕が注目したいのは、「+1 FOOTBALL MATCH」。「+1 FOOTBALL MATCH」この試合、あの中田英寿が企画したエキシビジョンマッチですが、単なるエキシビジョンという意味を超えて、余程W杯予選やヨーロッパ選手権などの真剣勝負よりも、価値ある試合だったのではないかと思いました。つまり、ただただW杯の予選を突破することを目標にしている岡田ジャパンのサッカーより、そこには、中田英寿が2006年のドイツワールドカップの出場を最後に引退した後、二年間かけて世界中を廻って観た結果行き着いた、サッカーについての本質的な思想がある、と思いました。 おおよそ、W杯やヨーロッパ選手権などのナショナルチームも、プロサッカーのクラブチームも、勝つことだけを目標にするようになっています。ナショナルチームであれば、チームの勝利は国威を世界に示すことにつながるでしょうし、プロサッカーであれば、勝つことはお金に繫がっています。そして、プロサッカーにおいては、より強いチームをつくるためには、よりいい選手と監督が必要で、彼らを集めるためには、多くの資金が必要になっています。その結果、前ACミランの会長で現イタリア首相のベルルスコーニや、チェルシー会長でロシアの富豪であるアブラモビッチに代表されるように、実社会での権力者が世界的な強豪チームのオーナーになってしまっています。(この意味では、よく使われる「スポーツと政治は別」という言葉は、正しくない。)しかし、このようなサッカーで「勝つこと」が目指される根本的な意味はほとんど意識されていないと思います。言うまでもなく、より多くのボールを相手ゴール入れた方がゲームに勝ちで、勝ちを目指すべきである、という前提がゲームに参加するすべての選手に共有されていなければ、サッカーというゲームは成立しません。一人でも、味方のゴールにボールを入れてやろう、とたくらむような選手がいたとすれば、ゲームが成立しなくなってしまいますので。とははいえ、それはゲームをゲームとして成立させるための前提であって、勝つことが、サッカーの最終的な目標ではないはずです。それは、サッカーがなぜ世界中の人々に親しまれているのか、すこし考えてみれば分かることです。試合をすれば、勝ち、負け、引き分けといった結果があって、必ずしも勝てるわけではない。あるいは、優勝を決める大会であれば、優勝できるのは、参加したチームのうちでたったの1チームだけで、その他のチームはすべて負ける。言ってみれば、負けるためにサッカーをやっているといっても過言ではありません。その上、アマチュアプレーヤーは、たとえ苦労してゲーム勝ったり、大会に優勝したりしてもなんの見返りも得られません。にもかかわらず、夏の炎天下でも汗水たらして広いグランドを走ってサッカーをしてしまうわけです。その理由は、サッカーのプレーそのものが楽しいからだ、というしかないでしょう。。。。。しかし、プロサッカーには、そんな基本的なサッカーをすることの意味が失われてしまい、いつのまにかお金儲けための道具となってしまっています。中田は、引退を決意した理由として、「サッカーが楽しくなくなった」と語っていましたが、一般の選手が運動能力が年とともに低下して引退するのとは違って、中田の引退は今のプロサッカーに対する批判を含んでいたのだという気がします。そして、中田が、このエキシビジョンマッチで表現しようとしたことも、その延長線にあると思います。まず、一つはお金儲けの道具とは違うサッカーのあり方を作り出すこと、そして、楽しむという本来の目標にそったサッカーの仕方を考えること。このエキシビジョンマッチのタイトルである「+1 FOOTBALL MATCH」の「+1」について、「なにかできること一つ」と書かれています。公式ウェブサイトを見ると、次のようにあります。「地球の声を届け、より多くの人々が問題意識を持つようになり、自分自身のため、地球の未来のため、「自分の何かできることひとつ」を考えて、行動するきっかけになることを目標に「+1キャンペーン」を実施します。」プロサッカーが、お金儲けのために行われているとすれば、このエキシビジョンマッチは、地球環境のために行われています。そして、この試合では、勝つこと以上に、サッカーを楽しむことが目指されています。メンバーを見ると、現役で世界のトップクラスで活躍するセードルフから、引退した名プレーヤー(後半残り10分には、67歳の監督釜本も出場!)、若手現役大学生のGK林彰洋(U-22代表)まで、”うまさ”によらずあえて幅広い層の選手が集められていました。また、この試合が草サッカーの延長線にあることをアピールするかのように、ユニフォームには、ブロサッカーや代表チームのように「NAKATA」ではなく、「HIDE」という文字が書かれていたのも印象的でした。そして、この試合は、プロサッカーのように社会の権力者にコントロールされたものではなく、中田英寿の一個人が企画し、彼との個人的な信頼関係で、ボランティアとして集まった選手たちの自主的な参加によって、実現しています。まさに、アマチュア選手によって世界中で行われている草サッカーのように、観客とともに、プロアマ、年齢、そして言葉も文化も違う選手たちが、サッカーを通してのコミュニケーションを楽しむことだったと思います。大方の人たちが、おおよそサッカーについて、勝った/負けた、システムがどうこうと、近視眼的にしか語っていないのに対して、中田のこんな当たり前だけど、忘れてしまった大切なことを、もう一度思い出させようとしてくれたのではないでしょうか。試合後のインタビューで、中田はこんな活動をこれからも続けて行きたい、と話していましたが、次はどんな形で展開されていくのか、とても楽しみです。できるなら、単なるエキシビジョンとしてではなく、今のサッカーすることの本質的な意味を忘れしまったプロサッカーに実質的なインパクトを与えるような活動としてほしいものだ、と思いました。。。。

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