江戸の近世都市化の条件

東国の後進地でいくら天下普請の名の下だといっても、一挙に、石積み船3000艘の建造と集合が実現して、巨石を伊豆から何万個も運んで揚陸させるようになったり、そのための作業に要する労働力として、西国一円の三十四家の大名に徴発され連れてこられた人夫が、これも何万という人数で江戸で働くようになったのは、一種の奇跡的現象といってよい。
しかし、天下普請けのシステムとその源泉である天下人の権力の巨大さだけではなく、やはり江戸という場所の特質、つまり近世特有の流通の大規模化・広域化に十分対応できるだけの地理的な条件-近世的な湊を形成しえる条件-を備えていたことを挙げなければならないだろう。

より具体的に言えば、江戸という場所の水運についての”ふところ”の深さが、北条の一支城の城下町といった中世的性格を超えて、列島規模の市場圏形成の一つの局としての近世都市化を実現したのである。

鈴木理生著『江戸はこうして造られた』p161

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