シーザーの『ガリア戦記』を読むと、当時の兵隊や、庶民の生活ぶりを知ることも出来ます。
この頃の家族単位は、ちょうど日本の封建時代と同じで、家長が中心となって構成されていました。そして家の真ん中に台所を作って食事をします。どういうものを食べるかと言うと、アピキュウスのような金持ちのための料理とは違います。鍋があって、水を入れてて早く湯を沸かそうと思ったら、中に焼けた石を入れる。その中に、肉類魚介、取れたものならほとんどどんな種類でも、要するに肉類と、引っこ抜いてきた野菜全部を放り込んで、ただ煮て食べたんです。香辛料を使うと言うことはなく、一般の人たちは塩とガルムしか使わなかったようです。
フランスの中世料理に鍋に何もかも入れて、ごたごた煮て食べるガリマフレがありますが、それと似たもので、一般の人たちはほとんどこればかりを食べていました。
現在のフランス人でもよく似たもので、ポ・ト・フーだってそうでしょう。そして、そのごった煮を入れる器もなかったんです。いまでもスイスの田舎に行くと、その表面に溝のようなものを掘った木の厚いテーブルがあります。そのようなテーブルの中に、煮たものを入れて、直接そこから食べ、食べ終わったら水をぶっ掛けて洗う。こんなものを考案した人たちは、明らかに権力を握られない人たちでしょう。
権力者や金持ちは、スープ皿はなかったけれど、大きなスプーン(レードル)をまわしながらの飲んでいました。辻静雄著『フランス料理の学び方』p64
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