Category Archives: Technology

水道管の劣化

劣化が進行した水道管の断面。
長期間にわたる使用により、上水に含まれている物質が水道管の内壁に付着、蓄積し、流路となる領域の断面積を縮小させている。

CPUクロック周波数の推移

CPUクロック周波数の時間的変化を示したグラフ。
1985年から2000年代前半まで上昇しているが、その後伸び悩み、3GHzあたりで頭打ちになっている。

つまり、2000年代前半をもって、コンピュータの処理速度という技術開発のフロンティアが消滅した。

海洋環境における金属材料の腐食と防食

海洋環境における金属材料の腐食と防食

埋立地盤種別分類図

(石川雄一郎著『さまよえる埋立地』P128)

中央防波堤外側護岸断面

海上にゴミの墳丘をつくるには、周囲を支える護岸が必要となる。中防外の場合、それ以前に海底の軟弱地盤を引き締めるため、粘土をさらって置き換え砂を厚く敷く。さらに船上から鋼管をつないでは打ち込み、その中に砂を詰めて圧縮しながら鋼管を引き抜く。これを砂杭といい、護岸に設ける一体に数多く打ち海底の基礎を固める。
護岸のフェンスとなるのは円柱の鋼管、いわゆる鋼矢板の強力型だ。これを埋立法線(埋立区域の外周を示す測量線)に合わせて、すきまなく一列に打ち込んでゆく。深さは海底40メートルほど、上端部は干潮海面より9メートル出す。外周から20メートルの内側にも、鋼矢板を打ち並べたフェンスを張り巡らし二重の枠を設定。その間に中詰砂を隙間なく詰め、上端をコンクリートで覆う。中詰砂と置き換え砂を合わせ、中防外ではざっと240万トンを使用。ほとんどが千葉県から運ばれた山砂である。
中防外その二地区の場合、護岸1メートルを造るのに昭和49年の着工当時で約1千万円かかった、と清掃局臨海計画課の話。とすれば、この地区の護岸延長は5672メートルだから、約570憶円のゴミだめということになる。
さらに内側フェンスに沿って止水用の鋼矢板(断面がコの字型)をあてがう。枠内の残留海水及び投入ゴミの汚水が、外海に染み出るのを防ぐためである。
四周に護岸ができても、内部の残留海水は敢えて抜かない。抜いてしまうと外を取り巻く海の圧力により、護岸が変形する恐れがあるからだ。護岸内に海水を残したまま、ゴミを投棄するため、水は汚汁化する。その流出を防ぐのが、止水板であり、中にたまった汚水を集めて、排水処理場に送るため、集水パイプをぐるりと埋設しておく。これはいくつも穴の開いた有孔塩ビ管。途中に汚水枡を設けてポンプアップし、厨房内の調整池へ送る。この池で汚水をためておき、隣接する排水処理施設にかけて下水道に流す。
(石川雄一郎著『さまよえる埋立地』P114)

報道番組 ニュースゼロ<ゴミ問題 埋立廃棄物>

東京のゴミ埋立処分場が残り少なくてヤバイ件【夢の島の今昔】

埋立地の歴史と技術

東京都地質調査業協会「東京港の埋立、その歴史」

鹿島建設HP「どうやって埋立地を作るの?」

バロック的軍事技術

この競争の結果が急速な技術の変化であり、代々の兵器システムの構成成分はそれぞれ「その時代の技術の最高水準」をみたし、さらに超えるようなものであることを強いられる。現代兵器の多くが持つこのような途方もない宇宙時代的様相こそ、兵士や、はたで見ている民間人を畏怖させるものなのだ。にもかかわらず、技術変化の方向は、軍や産業の定める範囲内に限定されてしまうと言えよう。主契約企業とその顧客(軍)が不変であることは、どのような軍の装備が適切とみなされるかの伝統を保つのに役だってきた。ハードウェアの高度化と複雑化自体が、まさしく保守主義と偏狭なものの見方の徴候とみなされよう。平時においては、戦争による外部からの必然性がないので、どのような技術を進歩させるべきかに関する決定はどうしても主観的になる。そのような決定は兵器システムを作る人と使う人が下しがちであって、彼らの考えは必然的に、制度内の慣習的経験と自身の生存への利害関係によって形づくられている。著名な英国軍人ジョンーダウニーは次のように書いている。
<我々のおかれている状況では、現在の戦略(抑止戦略)の性格ゆえに、戦争による厳密な検査をやってみるわけにはいかない。またその複雑さゆえに、荒っぽいお定まりの世論を評価基準にするわけにもいかない。>
<その結果は、システムはほぼ完全に内向し、いつの日かの審判の日に備えるべく自己完成のだめのたえまない努力に専心する。どのシステムでも必要とされるダイナミ。クな緊張関係も、やはりシステム内で生まざるを得ないが、それは活発な議論を通じてのみ生じ得る。しかし、有能な人材を採用しようとシステムが腐心しているにもかかわらず、結局はよりごのみをし、しかも訓練によって自らのイメージに合う人間に変えてしまう。>
モーリスージャノウィッツも、右とほぽ同じ点を指摘し、軍のエスタブリシュメントが技術革新を慣例化していると主張する。
 <その結果、従来の考え方はえてして「傾向」の考慮に終始し、兵器システムを戦略的に再検討するよりもむしろ、技術的な要素を徐々に改良していく方に関心を向けてしまった。このような志向性自体が、厳密な意味ではないにせよ技術的保守主義なのである。そして、問題がミサイルであれ、マンパワーであれ、将来に向けての計画は、想像力を強調した革命的開発に力点をおくより、傾向を改良することが重視されがちである。>
これこそ私たちがバロック的技術と言っているものである。
メアリー・カルドー著『兵器と文明』p24

見せ物としての戦争

戦争は、人の目を欺く見せ物と切り離せない。こうした見せ物を作り出すこと自体が戦争の目的であるからだ。敵を倒すというのは、相手に捕らえられるよりもむしろ相手を威圧することであり、死の手前にあって相手に死の恐怖を体験させることなのである。戦争の歴史をひもとけば、重要な転換点にらマキャヴェリからヴオーバン、フォン・モルトケ、チャーチルに至るまで、このことを想起させる軍人には事欠かない。「軍事力とは野蛮な力ではなく、精神的力にほかならない」。
(ポール・ヴィリリオ『戦争と映画』p24)

速度と権力

権力は、富と切り離せませんし、富は速度と切り離せません。権力を、語るものは、なによりまず、走行能力に関わる権力を語ります。ドロモスはギリシア語に由来し、「走ること」を、意味します。そしてどんな社会も、一つの「走行社会」なのです。馬の役割を通じて古代社会のなかで保たれる権力であろうと(ローマの最初の銀行家は騎士階級でした)、海洋の制服を通じて海洋国家において形成される権力であろうと、権力はいつも、伝令者や輸送手段や通信手段によって、領土を管理する力のことなのです。
ポール・ヴィリリオ『電脳世界』p7

台所道具の一万年

調理器具系統図

山口昌伴著『台所の一万年』より

明治期の台所用品

 在来の台所用具をまとめた貴重な資料がある。題して『ドメスティクージャパン』、内題によると「日本の毎日の生活の品物と使い方の説明」というのである(神奈川県の成毛金次郎が編集発行人である)。全文英語で台所全体をあるがままにスケッチし、さらにそこに置かれている道具を一点一点図示し、名称と使用方法を記している。明治二十八年(一八九五)六月十八日の発行であり在来の台所用具の全貌がわかる。対象はおそらく東京の一般家庭であろうと思われる。つぎにそこに示された道具名をあげる。
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コンクリートの中性化

コンクリートの中性化は、大気中の二酸化炭素(CO2)がコンクリート内に侵入し、炭酸化反応を引き起こすことにより、本来アルカリ性である細孔溶液のphを下げる現象である。中性化はコンクリート表面より進行し、鉄筋などの鋼材位置に達すると、不動体被膜を破壊する。これにより鋼材を腐食させ、腐食生成物の堆積膨張により、コンクリートのひび割れ・剥離を引き起こし、耐荷力など構造物の性能低下を生じる。また、ひび割れが発生したコンクリートはさらにCO2の侵入を促すため、中性化によるコンクリート構造物の劣化、雨水等の浸入による鉄筋の腐食を加速させることが知られている。そのほか、湿潤状態より乾燥状態の方が、一般に中性化の進行は早い。

ただし、中性化してもコンクリート自体の強度が低下するわけではないので、無筋コンクリートの場合は問題にならない。

中性化進行の予測式は、

y=b\sqrt{t}
y:表面からの中性化深さ (mm)、t:時間 (年)、b:中性化速度係数 (mm/√年)

で表される。

wikipedia

「海の牧畜民」による支配としての植民地

安田 僕はインド・ヨーロッパ語族の爆発的な拡大を考えたときに、「海の牧畜民」という言葉を使おうと思っています。つまり、かつて漁撈民は巨大な海を支配して交易をしていても、必ずしも植民地的な支配はやらなかった。ところが、ヨーロッパから出かけていったインド・ヨーロッパ語族の人々はアメリカやオーストラリア大陸を植民地にし、さらにアジアにもかなりの植民地を持ちました。そうした思想の原点がどこにあるかというと、結局インドヨーロッパ語族が牧畜民の文化をずっと持っていたところに行き着くわけです。牧畜民は、移動することによって新しい植民地をつくっていく。
ギリシャもインド・ヨーロッパ語族が拡大し、文明を作った国家ですが、彼らはやはり巨大な仕組みを地中海世界に作り始める。なぜギリシャ文明があのように大量の植民都市をつくったというと、もともと牧畜民であったインド・ヨーロッパ語族の一派であるドーリア人がやってきて、彼らが森の中で船を作る技術をマスターし、海へ出たからだと思います。
陸上の牧畜民の子孫が、海の先に作ったのが植民地だった。漁撈民は昔から海に接して海洋を自由に動き回っていても、決して巨大な植民地を作らなかったわけです。

石弘之+安田喜憲+湯浅赳男著 『環境と文明の世界史』p192

邪馬台国時代の鍛冶技術

纏向遺跡ではもともと、鉄で道具をつくる鍛冶生産の痕跡が三世紀後半ごろと、近畿の中でも比較的早い段階から行われていたことを示す鉄斎や送風管・砥石などの遺物が見つかっていました。
平成21年に兵庫県淡路島の五斗長垣内遺跡で、弥生後期にさかのぼる鍛冶関連遺構が大量に見つかりましたので、古さでは纏向はそれほどではなくなってしまったのですが、これまでに纏向遺跡で見つかっている鍛冶関係資料の中に、非常に興味深いものがあることが分かりました。
それは何かといいますと、参照でも触れられたように鉄の塊を鎌や鍬などの製品にする、鍛冶をするときには、鉄を加工しやすくするために炉にふいごで空気を送り込み炉内を高温にします。その送風管の先端部分の断面形状は近畿のものはちくわのような、なかに穴が開いている円形をしています。一方、纏向遺跡から見つかっているものの中には断面形状がかまぼこ型をした、北部九州に見られるタイプのものが含まれており、この送風管の形の分析から、鉄の加工技術には北部九州系の鍛冶技術が導入されたのではないかと言われるようになってきています。

石野博信、高島忠平、西谷正、吉村武彦編『研究最前線邪馬台国』p191

二世紀終わりから三世紀に長大な刀は、ツクシでは伊都国である福岡県前原市上町遺跡から出土しています。また同時期の日本海沿岸の福井県永平寺町乃木山古墳、鳥取県湯梨浜町宮内遺跡からも一メートル前後の刀が出土しています。
奈良県からはまだ出土しておらず、近畿地方で唯一、大阪市東淀川区崇禅寺遺跡から、長いと推定される刀の握りの部分だけが出ています。崇禅寺遺跡は大阪湾の入り口部分、かつて大阪平野には河内潟という大きな潟湖があったのですが、その湖の入り靴のところに位置します。
またさきほど高島さんのお話にありましたように、鉄は九州から圧倒的に多く出土していて、近畿には非常に少ない。京都府北部の丹後地方で、弥生後期から三世紀にかけての京丹後市御坂神社墳墓群などから、かなり沢山の鉄が出てきます。ヤマト説の研究者は丹後を近畿に含めて、それほど鉄器が少ないわけではない、といいますが、奈良・大阪の墓、土器など文化の特色を丹後と被告すると、まったく違います。ですから私は単語を近畿に含めるべきではないと思います。そうしますと、奈良大阪の鉄は非常に少ないのです。
しかし、数年前に行われた三世紀中央のホケノ山古墳の調査で、鉄鏃、銅鏃等の金属製品がそれぞれ74本、70本、あるいは鉄刀剣類が20余本出ており、80メートルクラスの長突円墳にもかなりのの金属器が副葬されていることが分かりました。
ヤマトの鉄は集落遺跡での出土は非常に少ないけれど、墓にはかなり入っている可能性がある。

石野博信、高島忠平、西谷正、吉村武彦編『研究最前線邪馬台国』p70