この競争の結果が急速な技術の変化であり、代々の兵器システムの構成成分はそれぞれ「その時代の技術の最高水準」をみたし、さらに超えるようなものであることを強いられる。現代兵器の多くが持つこのような途方もない宇宙時代的様相こそ、兵士や、はたで見ている民間人を畏怖させるものなのだ。にもかかわらず、技術変化の方向は、軍や産業の定める範囲内に限定されてしまうと言えよう。主契約企業とその顧客(軍)が不変であることは、どのような軍の装備が適切とみなされるかの伝統を保つのに役だってきた。ハードウェアの高度化と複雑化自体が、まさしく保守主義と偏狭なものの見方の徴候とみなされよう。平時においては、戦争による外部からの必然性がないので、どのような技術を進歩させるべきかに関する決定はどうしても主観的になる。そのような決定は兵器システムを作る人と使う人が下しがちであって、彼らの考えは必然的に、制度内の慣習的経験と自身の生存への利害関係によって形づくられている。著名な英国軍人ジョンーダウニーは次のように書いている。
<我々のおかれている状況では、現在の戦略(抑止戦略)の性格ゆえに、戦争による厳密な検査をやってみるわけにはいかない。またその複雑さゆえに、荒っぽいお定まりの世論を評価基準にするわけにもいかない。>
<その結果は、システムはほぼ完全に内向し、いつの日かの審判の日に備えるべく自己完成のだめのたえまない努力に専心する。どのシステムでも必要とされるダイナミ。クな緊張関係も、やはりシステム内で生まざるを得ないが、それは活発な議論を通じてのみ生じ得る。しかし、有能な人材を採用しようとシステムが腐心しているにもかかわらず、結局はよりごのみをし、しかも訓練によって自らのイメージに合う人間に変えてしまう。>
モーリスージャノウィッツも、右とほぽ同じ点を指摘し、軍のエスタブリシュメントが技術革新を慣例化していると主張する。
<その結果、従来の考え方はえてして「傾向」の考慮に終始し、兵器システムを戦略的に再検討するよりもむしろ、技術的な要素を徐々に改良していく方に関心を向けてしまった。このような志向性自体が、厳密な意味ではないにせよ技術的保守主義なのである。そして、問題がミサイルであれ、マンパワーであれ、将来に向けての計画は、想像力を強調した革命的開発に力点をおくより、傾向を改良することが重視されがちである。>
これこそ私たちがバロック的技術と言っているものである。
メアリー・カルドー著『兵器と文明』p24
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