身体意識

正中線にしろ「丹田」にしろ、身体を解剖して見ても、そこに何か特定の器官はありません。しかし、武道や芸能、スポーツなどさまざまなジャンルにおいて重要なものとされ、これをしっかりもっていると、身のこなしが柔らなくなり、理にかなった身体使いが可能になるばかりか、精神的にも安定、充実してくるのは紛れもない事実です。実体がないのに、あたかもある可能に存在し、人間の身体の動きや精神を規定するものとは何か・・・・・。それは、「人間の意識」ではないでしょうか。意識といっても、頭の中でもやもやといろいろ考えているのもひとつの意識です。しかし、「正中線」や「丹田」などの意識は、これらのものとは違って、身体を舞台にして存在する意識だと考えられます。そこで私は、これらの意識を「身体意識と呼んで括ってみることにしたのです。(高岡英夫著『身体意識を鍛える』p32)

身体意識(高岡英夫著『身体意識を鍛える』p46-47)先日のエントリーで、高岡英夫さんのゆる体操について紹介しましたが、高岡さんの試みは、単に武術を土台にしたトレーニング方法をスポーツや健康に応用できるだけではありません。身体のあり方から生まれる意識、「身体意識」という概念が導き出されているところが、 とても興味深い。西洋的な考え方では、脳に宿った意識が身体を操る、ことになっている。この場合、身体は、脳の命令に従って動く奴隷でしかない。脳が動かなくなることを、人の死とする「脳死」という考え方も、そこから導かれたものだろう。一方、高岡さんは、身体の状態が、人格(脳)に影響する、もっと言えば人格を作る、と考えている。上に掲載した「7つの身体意識」が説明されている表には、身体の感覚とともに精神的、意識的な症状についても書かれている。また、高岡さんのウェブサイトでは、政治家の身体のありようからその政治家の政治手法を分析しようする、かなり突飛な試みがなされている。「日米政治家の本質力を解く!」高岡さんの著書『身体意識を鍛える』を読む限り、論理的に、どのようなメカニズムで身体が人格に影響するか、説明がされているわけではないのですが、長年身体を観察してきた経験から、身体と人格とに密接な関係があることに気がついたのだから、それなりの説得力はある。当方としては、毎日「ゆる体操」をすることで、人格がどのように変わるのか、サッカーがどれくらいうまくなるのか、実験をしてみたいと思います。成果が挙がりましたら、また報告させていただきます。。。。。

  1. こんばんは☆度々拝見させてもらっています。脳は身体に指示をする。身体は脳に影響を与える。ということなのではないでしょうか。ただ、身体の状態が人格を作るということが、西洋的な考え方と同様に今後証明されることがあれば医学も大きく変化していきますね。ここでいう「身体意識」とは「行動」とは別物でしょうか。一緒だとしたら同感なのですが。考え、結論を固めて決断へ導いても、行動のほうは独立独歩でその決断に従う事も出来るけど、従う義務があるわけじゃない。決断しなかったことを実行に移してしまい、決断した事を実行に移さない、そんな人たくさんいる。もちろん、思考が行動に何の影響も与えないと思っているわけじゃないですが。ただ、本能的衝動は独自の源を持っていて、独特の方法で私たちの行動を形作っているような気がしてなりません。身体意識を鍛えた結果の報告記事、楽しみにしています。

  2. コメントありがとうございます。人間は、意志とか意識だけではなくて、無意識にコントロールされているところが大きいんじゃないでしょうか。一般的には、無意識といえば、心理学や精神分析で言われることが多くて、トラウマだと強迫観念などは有名ですが、高岡さんが言っている「身体意識」も、無意識のあり方のひとつだと言えると思います。身体が脳に影響を与えているとしても、その影響について人はほとんど意識できないわけですので。そして、考えることは、意識の中だけでもできますが、行動や実行というのは、もっと無意識まで含めた複雑なものが関係してくるわけですから、いくら意識として決断しても、無意識の部分で、その決断とは矛盾するような作用があるとすれば、行動が伴わない、行動に移せない、ということが起こるのだと思います。そこを改善しようとすれば、たとえば、身体を鍛えるのと同じように、少しづつ鍛錬していく、ということになる、という気がします。西洋と東洋の身体の捉え方の話ですと、やはりかなりの違いがあると思います。今の医学がそうであるように西洋的な方法として、身体を各部品に分解して理解しようとしますが、東洋は、たとえば、足に全身に関係するツボがあるというように、身体を全体の作用として理解しようしているように思えます。歩くときに、足と手の運動が連動しているように、人の運動はいくら部分に分解しても理解できないところがあります。ですから、運動を理解するためのアプローチとして、東洋的な考え方は、向いているのかもしれません。そういう意味では、西洋的な医学が扱えない部分を考えている高岡さんの研究が、医学に影響を与えるとすれば、とても面白いことだと思います。あと、高岡さんは、ご自分の肩書きの一つを、「運動科学者」としていますが、東洋的な武術などから出発しながら、あえて「科学者」という西洋的な名前をつけているところに、東洋的な思考を西洋的な思考からも見直そうとする、意思を感じますね。

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