江戸時代には、鉄道も自動車もなく、もっとも効率的な物資の輸送手段は船だった。
とすれば、大きな川は、物資の輸送にとって重要な経路となったはずである。
実際に、こうやって木曽川と利根川、荒川と中山道の位置をプロットしてみると、大方それらは平行しており、中山道が川に沿って引かれていると理解できる。
単に京都から江戸への人の移動のためだけなら、木曽谷ではなく伊那谷を通ったほうが歩きやすく、諏訪から山を登って軽井沢をわざわざ経由するのではなく、甲州街道を使って甲府を通って江戸に至ることが出来る。
中山道があえて歩きにくい木曽谷や、軽井沢を通っているのは、木曽川や利根川や荒川に沿って人が行き来し、宿泊する町を整備する必要があったためなのではないだろうか。
中山道は、単に人が移動するためではなく、社会情勢が安定した江戸時代に、地方から中央へ資源を安定して供給するためのパイプラインとして木曽川や利根川・荒川などの水路が機能し、それを陸路からサポートする役割があったと推察できるのである。
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