木曽谷と林業

木曽谷
大部分を急峻な山地が占めるため耕作地は少なく、木曽川沿いの狭小な平地に見られる程度である。年間降水量3000mmという豊富な雨量と、濃飛流紋岩類の風化による保水力の高い土壌によって、針葉樹が生育しやすい条件がそろっており、近世初期以降、ヒノキを中心とする林業がおこり、当地の主要産業として栄えた。

近世初頭には、江戸幕府の政策に従って畿内や北陸などの林業先進地から多くの杣工が動員され、林業開発が急速に展開した。また木曽川の開削事業が進められ、大量の材木の運送が可能となった。木曾谷は尾張藩領とされ、尾張藩は林業により多大な収入を得た。近世前期は林材の伐採が著しく森林資源の枯渇が危惧されるようになったため、尾張藩は森林保護・伐採抑制政策を進め、その結果、広大なヒノキ林が形成されることとなった。
Wikipedia木曽谷

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