新自由主義が抱えるリスク

イデオロギーの古いモデルには決定的な切り札があった。それは、政治活動は必ず好ましい結果に結びつくと民衆に説き続けることで、民衆から正当性を付与された来歴を持つことである。そのような信念が結果的に「革命的冒険主義」に歯止めをかけ、根深い安定思考を生み出す効果を生んだのであった。ところが新しく出現したイデオロギーには歴史的に培われた大衆的基盤はなかったから、支持を得たときと同じ速さで支持を失ってしまうリスクは覚悟の上で、すぐにでもその正しさを証明してみせる必要があるはずである。
こうして見ると、1970年代、80年代に出現してきた国家機構の分解現象には従来にない危険のにおいがする。地方における国家の権威や国家の機能が、統合主義的な宗教運動、麻薬密輸マフィア、武装した部族集団、都市の暴力団、センデロ・ルミノソのような運動に実質的に取って代わるかどうかはともかく、そう思わせる現象が蔓延していることに変わりはない。重要なのはこの現象が蔓延しているそのことよりも、世界の大国にこれといって手を打つ能力も意思もないと思われることである。秩序の喪失はじわじわ拡大する気配であり、まさに国家の権威分解したために地方が治安的・経済的に疲弊したことが、主たる抑止要因になっているに過ぎない。
(ウォーラーステイン編『転移する時代』p286)

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