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BS1スペシャル「独占告白 渡辺恒雄~戦後政治はこうして作られた」

https://www.nhk-ondemand.jp/goods/G2020106406SA000/

お勧め動画。
「ナベツネ」
読売新聞のトップ、巨人のオーナー。
これまであまりいいイメージを持っていなかったのですが、この動画を見ていて、カントの哲学が彼の行動規範になっていて、今自分としても関心のある問題に向き合っていたのではないか、と急に親近感を持ちました。

渡辺恒雄は、東大の哲学科出身で、専門はドイツ哲学。
実際に、動画の中でも、カントの付箋が貼られた「判断力批判」が出てきます。

徴兵され、酷い仕打ちを受けた戦争体験と、それを繰り返してはいけないという理想としての反戦、平和。

いっぽうで、新聞記者として目のあたりにする現実への対応しての、泥臭い積極的な政治への介入。

ナベツネが置かれていた状況とは比べ物にならないまでも、僕も、プロジェクトマネージャーとして、これまでより大きいプロジェクトに関わると、当然、関わる人間の数が増え、業務がより政治的になってくる。

1人で出来る読書や、あるいは少人数の仲間で出来る作品制作なら、プロジェクトを個人の意思である程度コントロールすることができるかもしれないが、大人数が関わる政治や巨大プロジェクトとでは、それができない。

いろんな考え方をする人が多数かかわることで、状況はカオス化する。思い通りにプロジェクトは動かない。

その結果、理想をもった個人は、自分が抱く理想と、大多数が関わる現実とのギャップに向かい合わざるを得なくなる。そのギャップを埋めるための現実で行動するべきか、が問題となる。
カントの哲学は、そのような状況での行動規範になる。
「ナベツネ」のとった現実への対応が、理想に向かう道筋として正しかったか、どうかはわからない。

ただ、この動画をみて、「ナベツネ」のことを今どきの巷の哲学者や評論家より、よほど哲学的な人だ、と、これまでのイメージを一新させられました。

世界資本主義の諸段階

(柄谷行人著『帝国の構造』p181)

佐藤優によるトランプ現象についての分析

「新自由主義は個人をアトム化してバラバラにする、新自由主義には、経済主体が行動するにあたって、障害になる規制を全て除去するという「排除の思想」が組み込まれています。さらに新自由主義のゲームのルールでは、市場で勝利したものが成果を総取りできる。その結果、グローバル資本主義のもとら資本主義は巨大な格差を生み出し続けることになったのです。
一方、貧困層が増えて個人がバラバラになると、民族や国民としての連帯感がうすれ、国民統合を内側から壊しかねない。生活不安の矛先が国家に向かい、国家の、徴税に支障をきたす。こうして国家が弱体化していきます。そこでグローバル化で生じる危機に対抗するため、再び国家機能の強化が行われるわけです。
さらに、2001年の同時多発テロ事件や2008年のリーマンショクを経て、アメリカの覇権が弱体化すると、各国が露骨な国益を主張する群雄割拠の帝国主義に突入しました。ただし、現代の新帝国主義はコストのかかる植民地を持たず、全面戦争を避けようとする点で、かつてとは異なるのです。
こうしてみるならば、現代は新自由主義と新帝国主義が同時に進行している時代と捉えることができるでしょう。
アメリカ大統領選で、トランプが支持を集めた背景を的確に理解するためには、こうした大局的な歴史理解が欠かせません。」

佐藤優著『大国の掟―「歴史×地理」で解きほぐす』 (NHK出版新書 502)

時代錯誤の政治シナリオ

緊急提言-城南総合研究所

上記リンクさきにある「緊急提言」に関連して。
金利が下げざるをえないというのに、株価の上昇だけみて、景気が上向き、というのは詭弁でしかない。
そりゃあ、年金など、これまで株式市場に入ってなかった金を大量に投入すれば、株価は上がります。

表面的に景気回復を演出して、自民党への支持が延命しているうちに、マイナス成長時代に対応する社会制度をしっかりつくってしまおうという魂胆。

この夏の選挙の争点になりそうな、憲法の改正は、その1つ。

戦前の国民はお国のためなら、命も投げ出した。
自民党のシナリオとしては、戦前の制度をもう一度作り直せば、多少の貧富の差や不公平な制度があっても、国民は皆ら従順に従うだろう、というところ。

だけど、人の行動ってそんな簡単に制度を作り変えるだけで、操作できるもんじゃないと思うんですよね。

やはり、戦前の国への信頼って、制度とかいう表面的なものではなく、それを成立させるような地盤があったと思う。
例えば、人口の年次変化をみると、明治維新からのものすごい勢いで増加する。
人口増の背景には、それを支える食料の増産もあるわけだし、この時代に生きていた人たちは、様々な生活スタイルの変化に圧倒され、それが幕府に代わって打ち立てられた新しい明治政府への信頼につながっていったんじゃないでしょうかね。

つまり、制度が国への信頼を作ったのではなく、リアルな生活様式の変化が国への信頼を作っていったんだとおもうわけです。

憲法を変えようが何をしようが、マイナス成長の経済は止められないし、人口も減り続ける。
根本的に明治とは時代が違う。
今、自民党が浅知恵で考えているようなシナリオは、遅かれ早かれ破綻すると思う。

日本における巨大資本の起源

明治政府は産業政策の上でも、一応封建制限撤廃の改革を行った。たとえば元年五月の商法大意は、株仲間の閉鎖性の打破と売価の自由を謳ったが、ついで五・六年の間には各地で続々株仲間の解放が実現され、「人民の職業を束縛」することが止められ、「銘々力の及ぶ丈け、勝手に相働き候こそ、人間営の本意」たることが確認された。だがその改革の本質が何であったか、それがなお近代以前のものであったことは、政府の通商司の指導の下に設立された通商会社・為替会社が、株式会社の組織を模倣しながら、実は国家の商業金融の統制機関であったこと、通商会社の下に結成された各種商社が企業形態としてよりも、むしろ同業の統制団体として、いいかえれば株仲間的なものとして当初は成立したものであったこと、通商会社にせよ、商社にせよ、その結成が国家権力の強制によるものであったこと、などの諸点によって推察される。この半官半民的特権会社たる通商会社・為替会社には、三井・島田・小野などの両替商が政府から頭取その他の諸役に任ぜられて実務に当った。そして五年十一月の国立銀行条例によって、この特権的両替商資本は、強い前期的性格を残しつつ銀行資本に転ぜられ、しかも「国立」の名の下に、厚い国家の庇護を受けて、資本の蓄積を行い、産業への支配力を築いていったのであった。
<中略>
かかる勧業政策の過程に、三井・三菱・島田・小野などの政商資本が国家権力に密着して生長を遂げていった。三井が大政奉還以後、朝廷の為替方御用を務め、戊辰戦役の戦費調達に積極的に努力したことが、諸大名の蔵元、掛屋の相続いて倒産した維新混乱期を凌いで、いよいよ大をなしたゆえんであった。その後三井は商法会所・商法司・通商司・為替会社・造幣寮などの政府の経済関係機関に関与、また官営企業に喰い込み、ついで小野と共同で国立第一銀行を経営、さらに九年わが国最初の私立銀行三井銀行を設立した。そして三井は井上馨ら長州閥と密接な関係を結んでいた。これにたいし三菱の創設者岩崎弥太郎は、土州藩士の出身、藩船を譲り受けて、九十九商会を興し、政府の土州閥を背景として佐賀の役、西南の役にその運輸にあたって巨利を収め、またたく間に全国の航運権を収めた。
(遠山茂樹著『明治維新』p240)

明治政府に発見された真の敵としてのブルジョア民主主義勢力

 西南の役後、「国の疲弊は、勝利の喜色に蔽れて露れず、人民の怨言は凱歌の歓声に妨げられて聞え」ず、専制抑圧旧に加わる悲境のうちに、立志社は再出発を行った。身体財産は自ら治め自ら衛るべし、国力の基たる国財の増殖には、国民自ら奮起して生産通商の道を開くべしとのブルジョア的要求をはっきりつかんだ愛国社再興趣意書を掲げて、全国に向って遊説員を派遣したのは、十一(一八七八)年四月であり、ついに十三年四月、二府二二県八万七〇〇〇名の請願人総代九七名の名を以って、国会期成同盟の「国会を開設するの允許を上願するの書」を提出、ついに翌十四年の政変を惹き起すまでに昂揚した自由民権運動は、明らかに前代のそれとは異質のものであった。西南の役から十三年に至る、インフレーションが米価の騰貴をもたらし、地主層のみならず、中農層の上向を促した。かくてこの中農層の擡頭を中核に、地主・貧農層を含めて全農民層の協同戦線が、地租軽減のスローガンの下に結成され、これに、より小ブルジョア化した士族・退職官吏・教員、また都市商工業者、すなわち全人民層の参政要求の運動がもりあがったのである。ここに始めて絶対主義政権は、己れの真の敵を発見した。それは日本的な歪みを少なからずもったとはいえ、またいくばくもなく分裂解体を余儀なくされる弱味を内部に包含していたとはいえ、ブルジョア民主主義勢力であった。この後の絶対主義は、すでに形成途上のものではなく、この敵対勢力に対抗し、これを圧伏しつつ、己れを保持してゆく過程である。明治二十二(一八八九)年の大日本帝国憲法発布は、立憲制によって絶対主義を粉飾したものにはかならないが、法の防壁によって己れを守らなければならなかったのは、近代的革命勢力の攻勢の洗礼を受けたからであった。
(遠山茂樹著『明治維新』p310)

中国と日本の岐路を別けた外圧

中国における南京条約一天津条約(一八五八年)・北京条約(一八六〇年)の系列と、日本における神奈川和親条約・江戸通商条約(一八五八年)・改税約書(一八六六年)に至る系列とに現われた欧米諸列強の外交意図の根本方向は同じであった。
彼が究極において求めたところは、開港であり、外交使節の交換であり、封建支配者の干渉なき自由貿易の確立であった。しかもそれは彼我平等の関係ではない。中国でも、日本でも、いずれも片務的な、領事裁判権(この結果外人は治外法権を獲得した)・協定関税率(税率は相手方の同意なくして改定できず、すなわち関税自主権をもたず、その結果きわめて低率に釘づけされた)・最恵国条款(双務的でなく、もっぱら外国側の利益の均霑のみを規定す)を強要された不平等条約であった。それは日本ならびに中国の国際的地位を、欧米資本主義の半植民地的市場として決定したものであった。
かかる外圧にたいする中国ならびに日本の支配者の対抗の姿勢も同質のものであった。彼らは共に自己の支配の必須条件として、鎖国政策を固持してゆくことを念願してはいたが、当面外国を撃攘するだけの武力をもたなかったために、便宜的手段として開国を受諾した。しかも一旦取り結んだ条約の実施を極力延期あるいは制限しようと努力し、その結果、外国との間に種々の外交紛争を頻出した。しかも幕府・清朝の支持煽動を陰に陽に受けて、攘夷運動が激発し、ために欧米列強との間に、幾度か武力衝突が起った。中国では第一次・第二次英仏連合戦役(一八五八・六〇年)、日本では薩英戦争(一八六三年)、四国連合艦隊下関攻撃事件(一八六四年)。かくて上述の並行的な外交推移の結末として、これまた時を同じくして中国の同治中興、日本の明治維新が出現した。それは共に封建支配者がこれまでの排外主義を緩和ないし転換して、外国勢力と妥協・結合することによって、政治改革を企てたものであった。このような表面的経過の類似にもかかわらず、中国と日本との間に国家統一の様相、近代的転化(資本主義化)の速度に、大きな相違を生じた。これは、まごうかたなき事実である。その差は、中国が経済的のみならず、政治的にも次第に欧米列強の半植民地化するコースに入り込んでいったのに反し、日本が一応政治的に独立を維持しえた違いに最も端的にあらわれていた。そしてまた同治中興と明治維新との、改革としでの深さの比較にならぬ相違をもたらしたのである。この大きな岐路の原因はどこに求むべきであろうか。
 イギリスの対日政策は、対中国政策と不可分の関係にあって遂行されていたにもかかわらず、事実は、中国にたいした場合に比較して、より緩和された性格のものとしてあらわれた。それは第一には、中国との紛争に極東のイギリス軍事力の大部分が注がれたため、日本に大規模の武力行使を敢てする余裕をもたなかったこと。第二にインドおよび中国での民衆の素朴ではあるが根強い民族運動の反抗を惹き起し(一八五一-六四年の中国の太平天国の乱、五七年のインド土民兵の反乱)、その結果は、彼らの本来の目的である市場開拓が阻害されるに至り、この体験が彼らの対日外交政策をきわめて慎重かつ消極的たらしめたこと。すなわち「既存の政府が代表し統制している力と秩序との諸要素があるのを尊重する」態度に出でしめたこと。
(遠山茂樹著『明治維新』p45)

見せ物としての戦争

戦争は、人の目を欺く見せ物と切り離せない。こうした見せ物を作り出すこと自体が戦争の目的であるからだ。敵を倒すというのは、相手に捕らえられるよりもむしろ相手を威圧することであり、死の手前にあって相手に死の恐怖を体験させることなのである。戦争の歴史をひもとけば、重要な転換点にらマキャヴェリからヴオーバン、フォン・モルトケ、チャーチルに至るまで、このことを想起させる軍人には事欠かない。「軍事力とは野蛮な力ではなく、精神的力にほかならない」。
(ポール・ヴィリリオ『戦争と映画』p24)

速度と権力

権力は、富と切り離せませんし、富は速度と切り離せません。権力を、語るものは、なによりまず、走行能力に関わる権力を語ります。ドロモスはギリシア語に由来し、「走ること」を、意味します。そしてどんな社会も、一つの「走行社会」なのです。馬の役割を通じて古代社会のなかで保たれる権力であろうと(ローマの最初の銀行家は騎士階級でした)、海洋の制服を通じて海洋国家において形成される権力であろうと、権力はいつも、伝令者や輸送手段や通信手段によって、領土を管理する力のことなのです。
ポール・ヴィリリオ『電脳世界』p7

イギリスを覇権国に導いた条件

イギリスの経緯はより単純だった。イギリスには一つの中心、15世紀になって速やかに経済と政治の中心となったロンドンしか存在しなかった。ロンドンは、同時に、イギリス市場をロンドンの便宜に、それゆえ、その地の大商人の便宜に合わせる形で作り上げていった。
他方、島国であったおかげで、イギリスは独立性を保ち、外国資本主義の干渉から逃れることが出来た。1558年のトーマス・グレシャムによるロンドン取引所の開設は、アンヴェルスにとって青天の霹靂であったし、1597年のスタールホッフの閉鎖によるそれまでの「客」への特権の廃止は、ハンザ同盟の諸都市に、有無をいわせぬものだった。1651年の最初の航海条例は、アムステルダムを驚かせた
この時代、ヨーロッパの交易のほとんどはアムステルダムに牛耳られていたのだが、イギリスは、それに対抗しえる手段を持っていたのだ。オランダの帆船は、風向きの関係で、つねにイギリスの港への寄港を余儀なくされていたからである。オランダが、他の国に対して絶対に認めなかった保護貿易主義的な措置を、イギリスに認めたのは、おそらくそのためであったに違いない。いずれにしても、イギリスはこうして、その国民市場を守り、そして、ヨーロッパの他のどの国にもまして、新興産業を育成することが出来たのである。イギリスのフランスに対する勝利は、遅々としたものだったが、かなり早い時に(私見では、1713年のユトレヒト条約の時点)に始まり、1786年(イーデン条約)にはまぎれもないものとなり、そして、1815年に最終的な決着を迎えたのだった。

フェルナン・ブローデル著『歴史入門』p127

近代世界システムに構造的危機をもたらす3つの趨勢

 均衡は、そこからの逸脱の諸過程に対する反作用的運動が、システムの基底をなす諸変数に一定の変化を強いるため、決してもとと同じところにまでは回復されない。したがって、均衡とはつねに動的な均衡でしかありえず、そのため、システムには長期的趨勢が生じる。システムの「通常」の作用を定義しているのは、このようなサイクルのリズムと長期的趨勢との組み合わせにほかならない。しかしながら、その長期的趨勢も永遠に持続可能なものではない。なんらかの漸近線に突き当たるからだ。ひとたびその漸近線に突き当たってしまえば、システムが、サイクルにしたがって、均衡に回復することも不可能になる。こうしてシステムは困難な時期に入る。システムは、末期的危機を迎え、分岐に向かう。すなわち、システムは、新しい均衡、新しいサイクルのリズム、新しい長期的趨勢をそなえた新しいシステムの構造へ向かういくつかの選択肢に直面するのである。
しかし、たとえば二つの選択肢のうちシステムがいずれをとることになるのか、すなわち新しいシステムはどのようなものが打ちたてられるのか、ということについては、それを前もって決定することは、本質的に不可能である。なぜなら、それは、システムによって制約されていない無限の個別の選択の関数だからである。これが、いままさに資本主義的世界=経済に起こっていることである。
 このことを理解するには、三つの主要な長期的趨勢に目を向けなければならない。それらはいずれも、いままさに漸近線に近づいており、それによって資本蓄積に限界をもたらしつつある。無限の資本蓄積が、史的システムとしての資本主義の規定的特徴である以上、それら三つの長期的趨勢がもたらす三重の圧力は、システムの原動力を機能不全に陥れ、したがって、システムの構造的危機をもたらしつつある。

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史的システムの末期的危機とシステム間移行期における政治闘争2

史的システムが危機にあるときには、二つの基本的方向のうち、一つに向かって進むことが出来ると私には思われる。つまり、ひとつには、既存の史的システムのヒエラルキー構造を保存しようとすること-ただし、新しい形態、さらにはおそらく新しい基礎において、ではあるが-が可能であり、また一つには、可能な範囲で不平等を削減-完全な廃絶とまでは行かずとも-しようとすることが可能である。そこからいえることとして、我々の大半は(全員ではないが)現在のシステムにおいて享受している特権の程度を起点として、右の二つの選択肢のうち、いずれか一方を選ぶことになる。すると、二つの広範な人間の集まりが現れてくる。これは、文明によっても、ネイションによっても、現行の定義による階級的地位によっても同定できないものである。
二つの集まりが演ずる政治を予言するのは難しいことではない。ヒエラルキーを好む陣営は、現在自らが持つ冨、権力の利益を享受しており、したがって情報、知識、また言うまでもなく兵器をも手中にしている。それにもかかわらず、その強さは、たしかに明らかではあるが、ある一つの制約に服している。それは可視性の制約である。定義上、この陣営は、数の上では世界人口の少数者を代表していることになる以上、ヒエラルキー以外の主張を訴えることで、外部の支持を引き付けなくてはならない。つまり自ら優先事項の可視性を落とさなければないのである。これは必ずしも容易なことではなく、その達成の程度に応じて、陣営の中核をなす成員の間に混乱が生じたり、連帯が損なわれたりする原因となる可能性がある。したがって、勝利は約束されていないのである。
これと対決するのは、数の上で多数に立つもう一つの陣営ということになろう。しかし、この陣営はきわめて分裂的である。それは複数の個別主義によって、さらには複数の普遍主義によって分断されてしまっている。このような非一体性を克服する処方は、すでに示されている。「虹の連合」である。しかしこれは、言うは易し、行なうは難しである。そのようなやり方に参加するそれぞれの者の利益は中期的なものであるが、きわめて確実に、全て我々には短期的な事情がのしかかってくる。われわれには、短期的な利益を無視するだけの規律もなければ、頼るべきたくわえもないことがほとんどである。つまるところ、我々個人として、短期的に生きている。我々が中期的な生を持ち、われわれが優先すべきものの構図に、短期的な時間性以外の時間性を設定するということは、ひとつの集団としてでなければありえないことである。そして、一国的な虹の連合ではなく、グローバルな虹の連合を作り出すことを考えると、それが、いかに巨大な課題であり、そのような連合を作り出すための時間がいかに少ないかということに気がつくのである。

(ウォーラーステイン著『脱商品化の時代』p205)

史的システムの末期的危機とシステム間移行期における政治闘争

結果として、来るべきものとして考えられるのは、無謀さそのものである。世界=経済が新しい拡大期に入ったとしても、まさにそのゆえに、この末期的な危機を導いたそもそもの諸条件はさらに悪化することになろう。理系的に表現すれば、ゆらぎがしだいに激しくなり、「カオス」的になって軌道の方向性がいよいよ不確実性を増すということである。

進む速度は刻一刻と上がっていきながら、道はますますジクザグに曲がりくねってい来るようなものである。同時に、我々に予期しうることは、国家組織が正当性を喪失するにつれ、集団及び個人のセキュリティは低下する-それもおそらくめまいがするほどに低下する-だということである。それは世界システムにおいて日常的に暴力の量が増大するということに他ならない。これは大半の人々にとって恐ろしいことだろう。当然である。

政治的には、この状況は大混乱となるだろう。なぜなら、これまで我々が近代世界システムを理解しようとして発展させてきた標準的な政治学的分析は、もはや妥当しない、旧時代になってしまったと思われるからである。現実にはそういうわけではない。ただ、そういった分析は主として既存の世界システムに属する進行中の過程に当てはまるものであって、[史的システム間の]移行の現実には妥当しないものなのである。だからこそ、[史的システムの末期的危機とシステム間移行の]両者の区別、および両者が重なり合っている現実がどのような展開を示すかということについて明晰に思考することがきわめて重要なのである。

進行中の現実について言えば、政治的行動によって、その過程になんらかの影響を与えようというのは、ほとんど不可能なことのように思われる。下り坂の壊れた車の比喩に戻れば、そこに感じる何やらどうしようもない感覚は正当なものであり、できそうなことといえば、せいぜいのところ、直接の被害を最小限に食い止めるためにあれこれ操作して見るといったところである。しかし、移行の過程全体について言えば、この逆こそが正しい。まさにその帰結が予測不能であるがゆえに、そしてまたゆらぎが激しいがゆえに、きわめて小さな政治的行動でも、大きな帰結をもたらすということになるだろうからである。私としては、これを自由意志が真に役割を果たす歴史的な契機と考えたい。
この長い移行期は、二つの大陣営間の巨大な政治的闘争として捉えることが出来る。すなわち、既存の非平等主義的システムの中で諸特権を維持したいと望む人々が結集する陣営と、既存のシステムよりも実質的に民主的でかつ平等主義的な新しい史的システムが作り出されることを望む人々が集結する陣営である。しかしながら、前者の陣営に属する人々が、いま私が表現したような形で自らの姿を示すだろうとは思われない。彼らは、自分たちは近代化を推進しているのだと主張し、自由と進歩を唱導する新しい民主主義者だと述べ立てるだろう。革命を口にするものさえいるかもしれない。しかし求むべき鍵は、レトリックではなく、実際のところ何が提案されているのかと言う実質の方である。
この政治的闘争の帰結は、部分的には、誰が誰を動員しえたかということの帰結によることになろう。しかし同時に、何が起こっているのか、そして我々が全体として直面している実質的な歴史的選択肢がなになのかについて、よりすぐれた分析を行う能力にも大いに左右されるだろう。これは知識、想像力、そして実践を統合しなければならない契機なのである。さもなくば、今から一世紀後、われわれはまたも「換われば変わるほど、同じこと」とかこっているかもしれない。何度でも言おう。帰結は本質的に不確実的である。そしてそれゆえにこそ、まさに人間がそこに介入する力、そして想像力にそれ開かれているのである。

ウォーラーステイン著『脱商品化の時代』p94

新自由主義が抱えるリスク

イデオロギーの古いモデルには決定的な切り札があった。それは、政治活動は必ず好ましい結果に結びつくと民衆に説き続けることで、民衆から正当性を付与された来歴を持つことである。そのような信念が結果的に「革命的冒険主義」に歯止めをかけ、根深い安定思考を生み出す効果を生んだのであった。ところが新しく出現したイデオロギーには歴史的に培われた大衆的基盤はなかったから、支持を得たときと同じ速さで支持を失ってしまうリスクは覚悟の上で、すぐにでもその正しさを証明してみせる必要があるはずである。
こうして見ると、1970年代、80年代に出現してきた国家機構の分解現象には従来にない危険のにおいがする。地方における国家の権威や国家の機能が、統合主義的な宗教運動、麻薬密輸マフィア、武装した部族集団、都市の暴力団、センデロ・ルミノソのような運動に実質的に取って代わるかどうかはともかく、そう思わせる現象が蔓延していることに変わりはない。重要なのはこの現象が蔓延しているそのことよりも、世界の大国にこれといって手を打つ能力も意思もないと思われることである。秩序の喪失はじわじわ拡大する気配であり、まさに国家の権威分解したために地方が治安的・経済的に疲弊したことが、主たる抑止要因になっているに過ぎない。
(ウォーラーステイン編『転移する時代』p286)

自然的存在を社会化する「火」

「火を通される」のは、新生児、産婦、思春期に達した娘など、強度な生理的過程に身をおいている人たちである。社会的集団の一員と自然との結合には、料理の火の介入による媒介が必要である。火は通常は生ものと人間という消費者との結合を媒介する役を果たしており、だから火の働きにより自然的存在が料理され、かつ同時に社会化されるのである。

クロード・レヴィ=ストロース著『生ものと火をとおしたもの』p465

現代ビジネス「原発マネーに群がった政治家・学者・マスコミ」

総力特集 原発マネーに群がった政治家・学者・マスコミ

原発をめぐる利権の構造が、コンパクトにまとまった記事です。

なぜ原発がこの地震列島に54基も作られたのか。巨額の「反原発」対策費が政・官・財・学・メディア・地元に投下され、「持ちつ持たれつ」「あご足つき」で骨抜きにされていった過程を暴く

食と花の新潟市産直広場in板橋

大山収穫祭日曜日に、食農協会の梅津さんに誘われて、東上線大山駅前商店街で行われていた「食と花の新潟市産直広場in板橋」に行く。大山駅前の商店街は、よくある私鉄の駅前商店街とは違って、人通りが多くかなり活気がある。出店を出すには、魅力がある場所である。この出店は、新潟市が企画し、市内の農家の方々が、自分たちが生産した農産物や加工品を販売するというもので、市が地元の産業の広告活動のために行っているのだという。よく見ると、その日の帰りに乗った山手線の車体にも、新潟市の広告が貼り付けられている。これまで、地方行政の広報活動について、意識して見ていたわけではないが、地方行政による広報活動が必要とされるのも、時代の流れなのだろう。これまで、建築土木の公共事業で各地方に等しくお金が廻る仕組みがあったが、いよいよその仕組みも終わりを迎えつつある。「地方分権」という形で、国から各地方に等しくお金が分配されなくなれば、地域間に格差が生まれる。そこで、地方行政は、地域の生き残りをかけて、地元産業の育成する必要がある。新潟は、大量消費地・東京に近い産地、という地の利を生かして、農業を育成していくべき地元産業のひとつとして位置づけているのだろう。 Read more »

民主党の住宅政策2

「住宅政策を大転換する」、民主党・前田武志座長こちらでも民主党の住宅政策について、話題になっている。高速道路の無料化、脱ダム、リフォームなど、民主党がやろうとしていることを、一言で言えば、もう建築・道路などのインフラを新しくつくらない、ということだ。僕が、修行時代に担当した物件は、島根県の人口二万人程度の町の客席600席の多目的ホールと蔵書10万冊の図書館の複合施設で、1999年に開館した。坂倉準三が設計し、1951年に開館した神奈川県立美術館は、初めての県立美術館だったらしい。90年代の公共施設は、それまで整備が遅れていた地方に建設される場合が多く、それ以降、あまり公共施設が建設されなくなった。つまり、1951年に始まった、地方の公共施設整備が、半世紀を経て、日本全国に行き渡ったということになる。さらに、今は、少子化の時代だといわれている。人口が減れば、それまで整備された建築物の利用率は、減る傾向になる。こんな時代の状況を素直に見据えれば、新しく建築や道路をつくる必要はないだろう。相変わらず、建築や道路が必要としたのは、利用者ではなく、それらを作ってきた建設業者たちだ。需要は、簡単に減ったり増えたりできるが、それを供給する労働者は、簡単に減らすことはできない。だから、需要が減った時代でも、建設業界の労働者に支えられた与党の政治家たちは、彼らに予算を配分し、建設業界を養ってきたということではないだろうか。しかし、今回の政権交代で、そのしがらみもなくなった。むしろ、新しく政権をとった勢力からすれば、建設・土木業は、これまでの与党の政治家が抱えてきたしがらみの象徴として、格好の批判対象になる。民主党の政策は、 その結果として、作られたものといえる。もちろん、建築を設計してきた建築家の職能も、こんな世相の影響を受けせざるを得ない。

民主党の住宅政策

以下のサイトで、民主党の住宅政策が紹介されています。民主党大勝で住宅政策はどうなる民主党『次の内閣』閣議(中間報告) 民主党住宅ビジョン政権が変わることで、建築業界にも変化があるんだろう。これまでも、道路や公共建築の公共事業が、削減されてきたが、これからはその傾向が一層強くなるんじゃないでしょうか。今、話題になっているダム建設中止は、その一例。こうなると、これまで公共事業で儲けてきたゼネコンは、いよいよ力が弱まってくる。90年代初頭まで、ゼネコンは絶対的な存在に見えたが、以外ともろかった。その力の源は、政府の土木建築工事による社会民主主義的な政策だったが、最近の新自由主義の政策で公共事業を減らされると、簡単に力を失ってしまった。さらに、今回の民主党がいうように、公共事業の投資先が、土木工事から別の分野(たとえば、グリーンニューディール)へと移されれば、回復の見込みもなくなってしまう。ただし、建築業界にとって、悪いことばかりでもないように思える。民主党の掲げる住宅政策の通り、大規模な公共事業からリフォームなどの小規模な事業に建築業界の業務の比重移れば、これまで下請け業者だった、末端の職人たちに直接仕事が発注されるようになるかもしれない。リフォームは、一つ一つの仕事の規模が小さくて、大手のゼネコンなどの仕事にはなりずらいし、規格化・量産化でローコストで住宅を供給してきた住宅メーカーの守備範囲でもない。いまの建築業界は、ものづくりの現場にお金が届くまでの中間搾取が多すぎる。通常、大手の住宅メーカーは、粗利益25%以上も採ってしまうらしい。これでは、最終的な建築物をつくる材料や職人の手間に金を掛けられなくなるのは当たり前だ。これから、現場でものづくりにあたっている末端の職人にお金が廻るようになれば、多少建築の質も上がって来るんじゃないかと、思うのだが、どうだろうか。

総選挙の結果をみて。

総選挙の結果は、当初の予想通り、民主党の圧勝、一人勝ちとなった。他の元野党は、前回の選挙と議席数にそれほど大差はなく、自民+公明の減らした議席が、そのまま民主に移動した形。民主党と選挙協力したはずの国民新党や社民党も、結局民主党への追い風をうまく利用できていない。国民新党は議席をむしろ減らしている有様だ。「郵政民営化」や新自由主義への反動が、今回の選挙に影響を与えているとするなら、国民新党や社民党や共産党への支持が増えてもいいはずなのだが、、そういう傾向はほとんどみられない。結局、ある特定の政策とか政治理念への支持が増減したわけではないことがわかる。むしろ、 基本的な投票行動のパターンは、4年前の”郵政選挙”とほとんど変わっていないと言ったほうがいい。前回の選挙で、「郵政民営化」を争点として、大挙して自民党に投票した無党派層が、今回は「政権選択」を争点として民主党に投票をしたということにつきるのではないだろうか。そして、このような投票行動をする無党派層を生み出しているのが、マスメディアである。言い換えれば、無党派層とは、マスメディアの流す情報しか受け取らず(つまり本やインターネット上の良質なな記事を読まない)、マスメディアからの情報だけを頼りに、政治を判断する人たちの別名だ。今回の選挙では、4年前の「小泉劇場」の反省からか、ワイドショーでは選挙のことよりもノリピーの話題ばかりを取り上げていたが、それでも結果は、やはりマスメディアの設定した”争点”によって決まってしまった。インターネットやさまざまなチャンネルをもつCSの普及などによって、TVや大手新聞社などのマスメディアの力が弱まりつつあるが、いまだにマスメディアの情報に大きな影響を受けてしまう多数の無党派層が、選挙結果を決めている。インターネットなどの新しいメディアが、マスメディアを凌駕して、無党派層を分解するような力を持つ時が来るのだろうか。そうならない限り、これからもマスメディアの設定した「争点」によって、結果が決められる選挙が続くことになる。