太田出版から発行されてきた『at』が、編集体制を変更し、『at プラス』として、新創刊された。これまで連載されてきた上野千鶴子の「ケアの社会学」が最終回となったことや、岡崎乾二郎さんの連載が始まったこと、あとサブタイトルが「思想と活動」になったことなど、いくつかの変化があったのだが、一番面白かったのは、特集記事だろうか。今回の「プラス」の創刊号は、特集を「資本主義の限界と経済学の限界」として、岩井克人や水野和夫へのインタビュー載せている。岩井克人の文章は、柄谷行人との対談「終わりなき世界」が出版されたころ、読んでから、疎遠になっていた。そのため、今回のインタビューは、久しぶりだったが、インタビューを読む限り、当時の「脱構築主義」のスタンスは、あまり変わっていない。いまは「脱構築」を批判する立場をとっている柄谷行人とは、だいぶ距離ができてしまったな、という印象。ただ、その分、岩井克人の言葉から、「脱構築主義」の”今日の意味”を、読むことができるかもしれない。80年代の柄谷行人にとって、「脱構築」は、当時存在していた共産主義・社会主義に対する、批判であった。しかし、ベルリンの壁が崩壊してからは、「脱構築」の批判対象がなくなり、むしろ、”資本主義の一人勝ち”が始まった90年代以降は資本主義を肯定する思想となってしまった、と考えられている。インタビューの中で、岩井克人は、巷の新自由主義と自身の理論との違いを、新自由主義が市場の自由化が、「神の手」による調和を生み出すことを前提にしているが、自身の理論は、”「貨幣」という自己循環論法の産物の土台に親しく見であることから、そえが純化すればするほど「不安定化」する。” そして、”今回の世界金融危機で、私が理論的に考えていたことが現実化した”、と言っている。そして、面白いのが、金融危機を生み出したとも言われる金融工学を、数学的に精緻化したのが、岩井氏のMITでの先輩にあたる人だそうだ。こういう話を聞くと、むしろ”脱構築”と新自由主義がかなり近い関係にあったことを示すことになっている。結局のところ、岩井克人は資本主義の仕組みを正確に分析しようとする経済学者であって、80年代の柄谷行人が、それを現代思想に結び付けようとしたというだけのことなのかもしれない。あと、水野和夫のインタビューは、昨年から始まった金融危機の歴史的な位置づけを説明してくれている。水野氏によれば、利子率が2%以下に下がったことは、”投資機会が消滅するところまで、投資が行き渡ったということ”を示しているという。そして、過去に金利が下がったのが、17世紀初頭のイタリアで起きた利子率革命で、それを通じて”中世荘園制・封建社会から近代資本主義・主権国家主義へとシステムを一変させた。”という。今回の金融危機が、封建社会から近代資本主義への移り変わりと同じくらいの変化の兆しだとすると、これからの社会は、どう変化していくのだろうか。これから起こりうる変化は、それくらいの射程で考える必要があるのかもしれない。ともかく、新創刊された『atプラス』の今後に期待。
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