Scratch Tile Studio-橋本聡展、ZAIM-「RED」展-フランシス真吾、「Sound&Vision」展-久保田彰弘

Y.K.です。10月11日、横浜のScratch Tile Studioというインデペンデント・ギャラリーで四谷アート・ステュディウム出身のアーティスト橋本聡さんの個展と、画家のフランシス真吾さんが中心に運営するHatch Artというグループが企画した「RED」展が横浜市の文化施設ZAIMで始まったので行ってみた。ZAIMでは「Sound&Vision」展なるものが下の階で同時に行われていた。これらについて、印象に残ったことを書いてみます。橋本聡の作品。湾岸にある古い雑居ビル「海洋会館」の地下の比較的小規模なギャラリーに入ると、布団をまだかけていない炬燵のような大きなテーブルが目を引く。上向きになったビデオがこのテーブルの中央に備え付けられ、映像が流れている。このテーブルと片手を手錠で繋がれた作者がいて、コーヒーを入れてくれる。しばしビデオ映像を観ながら談笑していると、作者が「実はテーブルの下にもビデオがあって、テーブルを持ち上げると観ることができるので、いっしょに持ち上げませんか」という。誘われるままにテーブルを持ち上げ、下のビデオを観ることになる。テーブルにはモニターが載っているので、そこそこに重みがあり、この重みに耐えられなくなってテーブルを元の戻したときが、いわばこの作品の終わりを意味する。橋本聡の作品の特徴は、ビデオやインスタレーション、パフォーマンスあるいは単なる会話も含めた複合的なメディアを駆使して考案されるトリッキーな作品を媒介にして、ギャラリー内における作者と観客の通常の関係を緊張感のある状況に変え、観客の芸術経験を身体的経験(ときにそれは性的な意味合いをもつ)として前景化させることで、芸術の想像的・観念的な領野との齟齬を生じさせて、そこから反省的で、かつ能動的で特異な芸術経験を誘発するというものだ。今回の展示でもそれは継続されていた。フランシス真吾の作品。今回「RED」展に展示されたフランシス真吾の新作は、いつもの丹念に塗り込まれたほとんど青一色(二色の場合もある)に見えるペインティングとはうって変わって、裁断される前の全紙の水彩紙が展示空間の周囲を巡るように円形に釣り下げて展示され、この支持体の中央に水平線のように太めの赤い線が描かれているというものだ。それは水平線の彼方に沈む夕陽のようにも見え、また赤道をイメージさせる。青のペインティングのときのように、ストロークの痕跡がまったくないというものではなく、水彩のために丁重なストロークがにじみながら重なって、線に表情を与えている。フランシス真吾の作品は、微妙なヴァルールの差異が作品の質を決定しているのだが、夕方に観に行ったので、暗くて肝心の色を正確に確認することができなかった。残念だ。しかし今回は、平面作品というよりも、インスタレーションといって差支えないスタイルであるため、ペインティングのときのように、色面にストイックに向き合うというものでもないだろう。機会があれば日中にもう一度見てみたい。「RED」展を観たついでに「Sound&Vision」展も観た。メディア・テクノロジー関連の作品は、他の現代美術や表現ジャンル同様、近年低迷した時期に入っていると感じられるが、それでもこの展覧会のように若い作家たちが集まって、こうして表現の場を作っていくことは評価できるし、応援もしたい。この展覧会で印象に残ったのは、音楽家・映像作家である久保田晃弘の映像とリンクさせた彼のギター・インプロヴィゼーションだった。たまたまコンサートに出くわしたので、しかも無料というので聴いてみた。そのサウンドは、デレク・ベイリーのフリー・インプロヴィゼーションが切り開いたサウンド以後、いかに音楽は可能なのかを問うもののようだった。ベイリーのサウンドを、ある音楽形態の終わりとして聴くのか、それとも始まりとして聴くのか、この選択態度の違いで、今回の久保田の演奏も評価が食い違うようにおもう。前者としてそれを聴けば評価できず、後者として聴けば評価の対象になるようにおもう。私は後者、つまり「始まり」として聴く方を選択したい。久保田のサウンドは、いわば「ベイリー楽派」のそれだった。以上の展示はどれも、現在開催されている「横浜トリエンナーレ2008」に併せて企画されたものだろう。横浜市の文化行政は芸術支援に積極的なようだ。他にも、横浜市ではパブリック・アート系の作品を企画・展示することを得意とするBANKARTや、「アート」を街の再開発の一環として活用しようとしている黄金町のプロジェクトなどがある。今、「再開発」と書いたが、これら展示スペースの多くは、都市計画の「再開発」の合間を縫うようにして成り立っている。つまり建て壊しが決定して、借り主たちが引き払って、伽藍堂と化した古いビルが取り壊されるまでの間、無料もしくは低賃料(正規の賃料で借りているところもあるかもしれないが)で借り受け、そこで様々なイベントを企画し、作品を展示するというものだ。「横浜トリエンナーレ」にしても、「みなとみらい」という湾岸の大規模な再開発事業の一環として位置づけられているようにみえる。むろん企画が一定の評価を得たなら、比較的長い間展示空間として空きビルを借り得るということもあるだろうし、世界的な金融破綻が始まった現在、「再開発」の動きは鈍くなっていくだろうから、アーティストにとっては、今がチャンスと言えばチャンスだ。しかし、ともあれ、ここでちょっと触れてみたいのは、そうした活動それ自体というよりも、もっと俯瞰的に見たときの人の流れ、その移り変わりのことだ。(横浜市の取り組みについては別の機会に書いてみよう)「再開発」の前と後。たとえばかつて工場や倉庫が建っていたところが取り壊され、巨大なショッピング・モールが建設される。メイン・カルチャーは、いつでも巨大な資本の動きに併せて動く。この「再開発」の余白、わずかの期間に、行政の支援を得たりして、商業的には成り立たないような実験的な作品が公開される。このように、メイン・カルチャーとメイン・カルチャーの間のわずかな余白に「現代美術」は存在する。多くの人たちが関わる経済の「開発」の中で産まれ、「再開発」の過程で消えてゆくというようなメイン・カルチャーのあれこれの、生産/消費の喧噪たる移り変わりの間隙で、アーティストたちはひっそりつぶやき、息をつく。「再開発」が始まれば、彼らは彷徨うだろう、新たな棲み家を捜して。ショッピング・モールの「文化」がひとつの日常となったなら、日常であったかつての工場にも、商店街にも、あるいは売春宿にも、そこで働き、息づいた人たちの文化というものがあったろう。けれど、日常がショッピング・モールの「文化」に金で回収された後で、人々はどうやってそうした歴史の変遷、空間の転換に思いを馳せることができるのだろう。空きビルに「アート」を楽しみに来るどれだけの人が、といっても同じことだ。「それでも未来は続く」。そうだ。だからサブ・カルチャーの現代美術は、三流エンタテイメントに堕することをなんとか避けようと、日常に走るこの亀裂、歪みに対して無頓着であってはならないだろう。「再開発」の余白の翳りの下に、人が躓く石コロがあっていい。そこから見える風景は、いつもとはほんのちょっとだけ違う世界が開けているはずだから。アーティストが気をつけなければならないのは、「再開発」の名目の下で行なわれるかもしれぬ弱き者の排除ということに、結果として加担してしまうことだろう。そうならなければ、ささやかではあるけれど、芸術は実りあるものの養分となる。

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