メディアの間

先週の水曜日、建築家の坂本一成の展覧会「日常の詩学」と伴って企画されたシンポジウムに行ってきました。この展覧会は、以下のリンク先のサイトで紹介されています。坂本一成 建築展『日常の詩学』坂本一成は、緻密な建築理論家で言葉を大切にする建築家だと言われていますが、この講演会で、自身の設計プロセスにおける言葉の大切 さを示す例として、以下のようなコメントがありました。僕の記憶によりますので、正確な発言とはすこし違うかもしれませんが、およその意味としては間違っていないと思います。「自分はスケッチを描かない。設計しようとする建築のコンセプトを言葉だけで表現して、担当者に伝えます。それでも、自分が表現し たい建築がキチンと完成します。それくらい建築にとって言葉は大切なものです。」通常、建築家はスケッチや設計図を元にコミュニケーションしていくことが多く、言葉だけでコミュニケーションする建築家は、珍しいのではないかと思います。言葉から建築物へと一般的ではない経路でメディアが転写される場合、一般的な建築家のようにスケッチや設計図といったメディアから建築物へと転写される時とは、違いがあるはずだと思う。それにも関わらず、坂本一成がいう言葉と建築物との間にずれがないとは、どういうことなのだろうか?また、金曜日には、現在設計中の住宅の家具を作っていただこうとしている、家具製作会社の井上インダストリィズまで打ち合わせに行ってきました。井上インダストリィズは、数々の有名建築家の家具をつくってきた製作工場であるとともに、家具のデザイン/設計もする会社です。自分も含めて、建築家は家具のディテールまで把握する能力までないことが多い。そこで、井上さんは、僕のような建築家の仕事をする場合、建築家のイメージを解釈して、家具の精密な設計図を書起こし、そして自分の会社の工房で家具を製作されるわけです。先の坂本一成の話と絡めれば、井上さんの仕事は、建築家の描く家具のラフスケッチと家具の精密な設計図、そして工房で作られるリアルな家具という3つのメディアの間を行き来しながら行われていると言い換えられると思います。坂本一成のシンポジウムでの、言葉と建築の関係に興味を持ったので、仕事の打ち合わせが終わった後、井上さんに次のような質問をしてみた。「設計図で描ききれず、工房でしか判断できない部分ってないのでしょうか?工房をしっているからこそできるデザインってないでしょうか?」僕としては、設計図とリアルなものとの間には、それなりにギャップがあるんじゃないか、と思ったのです。ところが、井上さんの答えは、「図面がしっかりかけない人は、ものもきちんと作れない。色は図面に描けないけど、サンプルを作ればわかるし。」とのこと。井上インダストリィが、かなり精密な製作図を描いているのは、そんなこだわりからなのだろう。確かに、「現場あわせ」は、建築の世界では、「いい加減」と近い意味で使われている。それに、建築家のイメージからリアルな家具へとスムーズにメディアを転写できる高い能力を持っているからこそ、井上さんは建築家から信頼を得ているのだろう。僕の予想に反して、設計図とリアルな家具の製作の現場との間のギャップはそれほど意識されていないようでした(^^;)

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