夢と家

Y.K.が頻繁に更新し始めたので、僕も負けないように書きたいと思います。。。。。Y.Kが夢や記憶について書いていますが、夢は建築や家の建設に関わる僕にとっても興味あることの一つです。いうまでもなく、家を設計する段階では、住み手は将来の自分の生活やありえる危険(台風や地震、泥棒や殺人)などの未来を想像して、家を作ります。しかし、実際に完成した家が、設計段階で思い描いた夢の通り使われるかどうかは別の問題です。想像はあくまで想像であり、想像と現実とが必ずしも一致するとは限りません。例えば、自分自身が設計したプロジェクトでも、お客さんが頻繁に泊まるはずだから、という想像に基づいて、もっとも日当たりがよく、庭が見える場所に作ったはず和室に、荷物が詰め込まれ、倉庫のようになってしまったことがあります。初めから倉庫として使うと分かっていれば、和室を作ってしまった場所には、もっと日当たりがよく、庭に面した大きな窓のあるリビングを作ることが出来たかもしれませんが、一度作ってしまったら、簡単に直すことはできません。あくまで想像に基づいてつくるしかないのが、家なのです。あるいは、若い夫婦のために設計される住宅は、大抵大きな寝室があり、そこにはダブルベットが置かれています。しかし、統計的に3割が離婚していることを考えれば、建設された住宅のうち3割は、当初の設計の通りには使われていない計算になります。現代の家は、家族一緒に楽しく住むことが前提に作らるものなので、離婚を想定すれば家そのものが否定されてしまいます。そのため、家にとって離婚は想定されてはならない未来なのです。そんなところからも、夢によって家は作られるが、その夢の通りに家が使われわけではない、ということが理解できるのではないでしょうか。あるいは、もっとマクロなところから家を考えても、家と夢との関係が見つかります。別のところで何度も書いていることではありますが、戦後の日本には次の3つの信頼があり、その信頼に沿った住宅が普及していきました。つまり、3つの信頼とは、大企業に対する信頼、工業化・近代化に対する信頼、アメリカに対する信頼です。そして、この3つ信頼をもっともうまく表現できた家として、大手住宅メーカーのつくるプレハブ住宅が、戦後、日本人の家として普及していったのです。大企業に対する信頼に対しては、大手住宅メーカーが作ることによって、工業化・近代化に対する信頼に対しては、構造をそれまで大工が作ってきた木造住宅から工場で大量生産される建築部材を用いることによって、そして、アメリカに対する信頼に対しては、コロニアル風やフランク・ロイド・ライト風などのアメリカのおうちのデザインを引用することによって、大手住宅メーカーのつくるプレハブ住宅は、非常に適確に対応しています。そして、大手住宅メーカーのつくるプレハブ住宅は、80年代までは順調にシェアを拡げていきました。ところが、90年代に入って、この流れが失速し、北欧住宅、ログハウス、デザイナーズハウスや在来木造住宅の見直し、といった新しい流れが生まれました。僕は、この流れの変化のきっかけを作ったのがバブル崩壊だと考えていますが、それまで明るい未来を作ると信頼されてきた工業化・近代化が実は環境汚染の原因であると理解され、バブル崩壊によって、それまで絶対に潰れないとおもわれていた大手企業が倒産し、近代化・工業化への信頼、大企業に対する信頼が失われて行きました。そして、いよいよブッシュ政権下でのアメリカの覇権主義やアメリカ金融バブルの崩壊などによって、アメリカに対する信頼も揺らぎ始めているように思えます。大企業・近代・アメリカに対する信頼が、実は夢でしかなかったことが明らかになり、その信頼の上に作り上げられた大手住宅メーカーのプレハブ住宅も、徐々に人気を失い始めているのです。そんなことで、夢と家とは、かなり密接に関係していますし、家を考えるためには、夢についても考える必要があるわけです。

コメントを残す