石山修武、磯崎新、夢

Y.K.です。昨日の明け方、夢を見た。こんな夢だ。狭いタクシーの後部座席に私を含めた三人の男が乗車している。私は左側に、右奥に建築家の石山修武が、真ん中に磯崎新が座っている。磯崎は前座席の背もたれに掴まり身を乗り出すようにして、前方を見ながら何やら楽しそうにしきりに話している。体も大きく、私も石山修武もドアに押しやられるように詰めて座っている。磯崎のエネルギーに圧倒される二人。石山はそれでもニコニコしながら磯崎の話を聞いている。私もこの二人の知り合いであるらしく、磯崎に何か質問したりしている。何を聞いたかは憶えていない。だが、磯崎は以前からの知り合いであるかのように私に話しかける。どうやら私は、M.T.の仲介で二人と知り合ったようなのだが、M.T.はそこにはいない。後で来るようだ。場面は変わって、どこか田舎の中山間地の急なS字カーブの緩い坂道を、反時計回りに三人で歩いて上っている。田舎なのだが、そのカーブ沿い左手に古いバラック建築の下請工場などが林立している。(『ハウルの動く城』を日本の下町工場風に変えた感じ。)建物群は無計画に増築を重ねたようで、しかも年季が入っており、いずれも錆び付いたトタンや無様に露出した鉄骨の骨組みがひしめき合って複雑な構造を形成している。異様に複雑な構造だが、鮮明な像。煙のような湯気のようなものがどこかの建物からのぼっている。(私はたまにこういった複雑な構造物の夢を見る。妙に細かい編み物の文様とか。なぜそのような複雑な構造を持つイメージが夢で具に再現されるのか、ひどく不思議に思う。そんなもの見た記憶がないのに、夢で曇りない精緻な像を結ぶ。)わざと建物の一部の角度をななめに振って、建物からグラ~ンと横に突き出てきた突起物のような鉄骨と鉄板だけでできた一画のある工場が現われ、私が磯崎に「あれを見てください。これはデコン建築みたいですね」というと、磯崎はうなずき、「そのとおり。しかも自然が形成する脱構築だね」みたいなことをニコニコしながら言う。また狭い敷地に建てられ、細長く伸びた塔のような錆び付いたトタン板で壁面を覆った建物に出くわす。耐震強度も何も考えずに建てられたようで、いつ崩落してもおかしくないような不安定な建物。この建物のパースが奇妙に歪んでいて、最上階が消失点で消えてしまっているのだ。5階ほどしかないのに最上階が見えない。夢ではこれをあたりまえのように見ていて、それを磯崎と私が関心しながら見ていて、私はとても高いなと感じている。三人はしばしその道を歩く。並んで歩く磯崎と私。石山は私たちから3メートルほど離れて歩く。しゃべり続ける磯崎。その話しを歩きながら聞いている石山。しかしその眼差しは前方へ向けられ、自分の設計した建築物を確認しようとしている。どうやらこの工場群の先にあるようで、それが気になるようだ。で、ここで場面が変わって、石山の設計した建物の前にいる三人。屋根でわれわれの立つ場所が日陰になっている。ファザードも暗くてよくわからないが、次第に見えてくる。何様式なのかは不明だが、屋根はお風呂屋さんのような造り。その下へ入っていくと境内になっていて、数段の木製の階段がある。土足のまま随分踏まれたようで、汚れていて角が丸くなってすり減っている。階段を上ると踊り場になっていて、正面には扉があるようだが黒くてよく見えない。なのに私は、その向こうが劇場になっていることを知っている。踊り場の左右には、また数段の雛壇のような短い階段があって、その先には狭い踊り場がある。私は、その階段の両サイドに大きな梵天像があるはずだと勝手に思い込むが、それがないことを残念に思う。左側の階段を上がって狭い踊り場に出るとさらに薄暗い。その踊り場の右正面に教会の塔に上るときによくある狭い階段を見つけるが、洞窟のような階段の先は真っ暗で吸い込まれるような闇になっている。最初の数段だけがうっすら見えて、その先は闇に呑み込まれていく階段を見て、なにか小さな恐怖を感じる。さらに踊り場の右側面に扉があって、その先には部屋がある。そこから白熱光の明かりが漏れている。私はその部屋へ入る。部屋の中はあばら屋で、キッチン用品を始めに物が雑然とちらかっている。床は畳を剥がしたときの板ばりのままのようで、その上に褪せた埃っぽい絨毯が敷かれている。壁はすべてベニヤの合板を張っただけで、その壁に沿ってミカン箱を積み上げたような本棚がある。このボロクソのあばら屋を見て、いかにも石山修武らしいデザインだな、とひどく納得する。そのような部屋に何人かの人がいて、賑やかに話しをしている、とおもったら私もすでに座り込んで、その話に参加している。それでわかったのだが、この石山の建築は、石山が実際に5年に渉って関わってきた猪苗代湖湖畔の農場計画のために建てられたものだということ。そして、石山に設計を依頼した貿易会社の社長がひじょうに熱心に建築を独学したということ。ミカン箱の本棚を見ると、確かによく読まれ使い古された建築関係の本が整然と並んでいる。コーリン・ロウの『マニエリズムと建築』まであった。私はそのことにひどく感心する。夢の中でこの本のあり方が興味深かったのだが、この本だけがはっきりを像を結び、両隣の本はひどくうすぼんやりしていて暗かった。それと対比して、『マニエリズムと建築』の灰色の背表紙の題名がはっきりと認められた。他に磯崎の『海市』、「Modern Architecture」と題された非常に分厚い本があった。他にもいろいろあったが憶えていない。この農場を始めた貿易会社の社長が読んだものらしい。どれもひどくボロボロだったのが印象深い。ここで話した人たちが誰であったか、一人も憶えていない。既に石山も、磯崎もこの部屋にはおらず、話しには参加していなかった。夢はここで終わっている。

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