『スティング』

先週の木曜の夜、何気なくBSにチャンネルを回したら、ポール・ニューマンとロバート・レッドフォード共演の映画『スティング』がやっていた。『スティング』を観る予定は立てていなかったし、そもそもそれが放映されること自体知らなかった。けれど観始めたら、何かと興味深い部分があって、ついつい最後まで観てしまった。興味深かった点は主に4点あった。映画の中における俳優の演技、その演技に深く関わるが「詐欺」をテーマにしたそのストーリー、そしてこの映画が製作された1970年という時代状況。あと、もうひとつは役者たちのファッションだ。ところで、おそろく私はこの映画を初めて観たはずだ。「はずだ」というのはその記憶が定かでないからで、もしかしたら既に観ていたかもしれないが、観た記憶がなくなっているので、当初観たとすれば、そのときはあまり集中して観ていなかった、ということになるだろう。だったらそれは、過去に観ていないということにしていいはずだが、そうも言えないのは、それなりに理由があるからだ。その理由とは、この『スティング』がロードショーされた頃(1970年代前半)、私は大の映画ファンだった。当時、私は小学生で、お小遣いで毎月、映画月刊誌『ロードショー』を購入していた。それを読むのが毎月楽しみだった。いや高学年の小学生だったのだから、読んだというよりも見たといった方が正しいかもしれない、読めない漢字があったはずだし。ルビがついていたのか、どうだったか、忘れてしまった。ともかく、それを何度も繰り返し見た。それはまさに、一人の子供によって使い込まれた玩具、いや道具のようなものだった。もちろん雑誌の『ロードショー』を買っていたからといって、小学生の身分で映画館に一人で足を運んだなどということはない。だいいち入れないでしょ、親同伴でないと。『ロードショー』は、私にとって決してリアルタイムでは観ることのできない新作映画の断片がいっぱい詰まったファンタジー(想像)の星雲のようなものだった。もちろん『スティング』のことは、この雑誌で知っていたし、そこで見たという記憶が残っている。あのニューマンがレッドフォードと肩を組んでいるポスターも。で、これを書いていたら、記憶が突如蘇ってきて思い出したのだが、どうも私は、確か、『スティング』のパンフレットを持っていた。間違いない。それを持っていたのは、私が映画のパンフレットを収集し始めたからで、でも、パンフレットの収集を始めたのは中学生、いや、高校にあがってからかもしれない。そうだ、それは明らかに映画のパンフレットを扱う店で購入したものだ。どの店かは忘れてしまったが、新宿紀伊国屋の裏にそんな店があったような気がする。その店の店内などの記憶はないが、店で買ったという実感が残っている。映像のない記憶とでも言えばいいか。ということは、確実なのは、私は『スティング』を映画館では観ていないということだ。話しが前後して申しわけないが、小学生の頃、テレビでは夜の9時から、既に劇場公開された映画が、公開が終わると一年くらいか、2~3年たって、吹き替えで毎日のように放映されていて、それをいつも心待ちにしていた。もちろん毎日観れるわけもなく、どうしても観たいものを選んで観ていたし、小学生の頃は親に頼んで許しが出ると観れた。あの頃、映画の終わる時間夜11時というのは、小学生にとってはとてつもなく遅い時間だった。70年代前半のテレビは、夜9時には、必ずどこかのチャンネルで映画のテレビ放映があった。月曜日は荻昌弘解説の『月曜ロードショー』、水曜日は水野晴郎の『水曜ロードショー』、金曜日は高島忠夫の『金曜ロードショー』と、そして日曜日が「さよなら、さよなら、さよなら」の淀川長治の『日曜ロードショー』。もちろん火曜日も、確か木曜日もあったはずだ。それらが、局を変えて毎日あったのだ。そもそも家庭用のビデオデッキなんかもまだ存在していなかったし、貸しビデオ屋なんてのももちろんない時代。そんな時代に『スティング』もテレビで放映されたはずだ。でも記憶にない。ま、要するに観ていないということだろう。このようなことを書きたくなったのは、『スティング』を観ていて、実に70年代的な雰囲気を醸し出しているなあ、と感じたからだ。特にふたりのキャスティング、詐欺師のふたりという設定が、その時代にけっこう流行ったスタイルだったのでは、とおもった。システムから外れたアウトロー的な人物設定、正義の味方というわけではなく、むしろ泥棒だったり、殺し屋だったり、放浪者だったりするのだが、しかし一方で、人間味があって魅力のある複雑な人物。『スティング』(1973年)のポール・ニューマンとロバート・レッドフォードのそれは、ちょうど1971年に放送開始された『ルパン三世』(ファースト・シリーズ)のルパンと次元大介のそれと似ていなくもない。で、この『ルパン三世』がもともと同時代の『さらば友よ』(1968年)のブロンソンとアラン・ドロンなどを参照していたそうだから、私が『スティング』をそう感じたのも、あながち的外れではなかったということだろう。因みに『さらば友よ』も好きな映画のひとつだった。こうしたあの頃観ていた映画をもう一度見直してみたいという思いが最近強い。それらがどれも映画史的に重要だというわけではないし、何度観ても見尽くせない、決してあきないというものでもないだろう。いわゆる監督映画でもない。が、なんというか「時代」、「大衆文化」というものにおそらくは無意識に刻まれたはずの「形象」というものが存在するとすれば、そこに込められたメッセージがなんだったのかということが知りたい。などというともったいぶっているが、しかし、もしそうした形象の存在が認められるとしたら、それは制作者も意図していなかった、そしてその時代の観衆にも見過ごされていた、そんな時代の符号のようなものなのかもしれない。後世において初めて見出される失われたものの存在。後世がそれを見出すには映画史の残るような監督映画でなくて、そうでないB級映画の方がよいようにおもう。それら符号をかき集めてつなぎ合わせていけば、作者のいないある一時代の形象を読みとることができるかもしれない。もっとも私には到底無理なことだが。あらゆる文明には黎明期があり、盛栄期がある。同じよう衰亡期も必ずやって来る。私には、今の日本がこの衰亡期にあるように思えてならない。もちろん日本人や国家としての日本が今すぐなくなるということではない。そんなことじゃない。あるパラダイムが社会的に反復することで成り立つものを文明と呼ぶのであれば、今、失われつつあるのは、そのようなパラダイム=文明で、そしてそのようなパラダイム=文明の存在を知るには、むろんメタに立って可能な限り客観的にみようとすることも重要だが、同時に、人々の何気ない表情や仕草、話し方、暮らしぶり、習俗、習慣などから窺うほかないものでもあり、あるときある表情や仕草が、人々や街角から次第に灯火が消えてゆくように消えていったなら、それはそのようなパラダイム=文明の消滅をわれわれに知らせているのだ。70年代映画のように。そして失われたものを取り戻すことはできない。

コメントを残す