Author Archives: Y.K.

2010年度 「建築農業工作ゼミ」トライアルワークショップ(工作編)+ガイダンス

四谷アート・ステュディウムで建築農業工作ゼミのワークショップ&ガイダンスを行ないます。関心ある方は参加しませんか。詳しくはこちら建築農業工作ゼミ

四谷アート・ステュディウム-建築農業工作ゼミについて②

少なくともぼくらにはふたりの自分がいる。そうオツムとカラダだ。カラダ。泣いて生まれ食って寝て、泣いてもがいて死んでいく。お別れだ。それが運命。それが自然法則。物質循環。エントロピー。巻き戻せない時間の流れ。宇宙の原子への帰還。動物、霊長類、自然的存在としてのぼくらのことさ。 Read more »

四谷アート・ステュディウム-建築農業工作ゼミ①

四ツ谷にある四谷アート・ステュディウムっていう美術学校で講師しています。いろんな人からすすめられて、ぼくもゆる~くさえずってみることにした。けれど、ゆる~くさえずる、なんてこと、鳥たちはしない、たぶん。だから、これは人ならではの奇妙なふるまいのひとつってことになる、さえずりは。芸術も生活もなんやかんやでてんやわんや。おかげでなにがなにやらてんてこまい。いやはやまったくまいった。さてとこれからどうする? 迷うくらいなら途なき途を往け、きみの往った後にはぱっくり開けた深い亀裂が走っていたということさ。 Read more »

土の物理性-固相、液相、気相

tsuchi-sansou-bunpu.jpgこの円グラフは、土を固体の相、液体の相、気体の相に分けて、その割合をグラフ化したものだ。これを土の三相分布と呼ぶ(『土壌の基礎知識』)。 Read more »

土の性質-物理的性質、化学的性質、微生物的性質

土の性質(『土壌の基礎知識』前田正男、松尾嘉郎共著・農文協刊より)ここからわかるように、複雑な土の性質を分けてみると、物理的性質、化学的性質、微生物的性質に分けることができる。『土壌の基礎知識』によれば、物理的性質とは、土の堅さだとか、水はけの善し悪しだとか、通気性などのことをいい、化学的性質とは、土がアルカリ性や酸性になることや、鉄やアルミニウムの多い土は作物にリン酸が吸収されにくいなどのことをいい、微生物的性質とは、畑に施したアンモニアが硝酸に変化することや、水田に水を張ると作土が酸素不足の状態(還元)になることなどをいう。 Read more »

農業技術と農政

農業をよりよく知るにはどうしたらよいか。ぼくがおもうに、その接近の仕方には二種類ある。ひとつは、農業を技術という実際的な側面からみるというもの。ふたつめは、農政、つまり農業を農業政策や経済的な観点からみていくというもの。学問的にも、これらふたつは分けられているようだ。 Read more »

岡崎乾二郎展-南天子画廊

10月14日、京橋の南天子画廊で始まった岡崎乾二郎展で、氏の絵を見た。作品についての詳細も要約することも、ここでは差し控えよう。それというのも、詳細はもちろん、要約するには、私には、氏の作品はその見かけ、たたずまいにも関わらず、あまりにいろんなことが多すぎる─展示された絵の数量のことではない─。けれど、それではあんまりなので、一言だけ言うと、そこで扱われた個々のマテリアルのさまざまな扱い方(技術)が、いかに全体として統合された絵画へと変換(フォーム)しているか。マテリアルたちは、その属性ゆえに「絵画」への抵抗を示してあまりある、が、それにもかかわらず、あるいはそれゆえに、色たちは、ときにたどたどしく、しかしあくまで軽やかに舞う。初めて補助車なしで乗れた自転車の魔法にかかるように。見るたびに、そんな感覚をもたらしてくれる絵というのは、なかなか世に少ない。岡崎乾二郎展 南天子画廊

Scratch Tile Studio-橋本聡展、ZAIM-「RED」展-フランシス真吾、「Sound&Vision」展-久保田彰弘

Y.K.です。10月11日、横浜のScratch Tile Studioというインデペンデント・ギャラリーで四谷アート・ステュディウム出身のアーティスト橋本聡さんの個展と、画家のフランシス真吾さんが中心に運営するHatch Artというグループが企画した「RED」展が横浜市の文化施設ZAIMで始まったので行ってみた。ZAIMでは「Sound&Vision」展なるものが下の階で同時に行われていた。これらについて、印象に残ったことを書いてみます。 Read more »

石山修武、磯崎新、夢

Y.K.です。昨日の明け方、夢を見た。こんな夢だ。狭いタクシーの後部座席に私を含めた三人の男が乗車している。私は左側に、右奥に建築家の石山修武が、真ん中に磯崎新が座っている。磯崎は前座席の背もたれに掴まり身を乗り出すようにして、前方を見ながら何やら楽しそうにしきりに話している。体も大きく、私も石山修武もドアに押しやられるように詰めて座っている。磯崎のエネルギーに圧倒される二人。石山はそれでもニコニコしながら磯崎の話を聞いている。私もこの二人の知り合いであるらしく、磯崎に何か質問したりしている。何を聞いたかは憶えていない。だが、磯崎は以前からの知り合いであるかのように私に話しかける。どうやら私は、M.T.の仲介で二人と知り合ったようなのだが、M.T.はそこにはいない。後で来るようだ。場面は変わって、どこか田舎の中山間地の急なS字カーブの緩い坂道を、反時計回りに三人で歩いて上っている。田舎なのだが、そのカーブ沿い左手に古いバラック建築の下請工場などが林立している。(『ハウルの動く城』を日本の下町工場風に変えた感じ。)建物群は無計画に増築を重ねたようで、しかも年季が入っており、いずれも錆び付いたトタンや無様に露出した鉄骨の骨組みがひしめき合って複雑な構造を形成している。異様に複雑な構造だが、鮮明な像。煙のような湯気のようなものがどこかの建物からのぼっている。(私はたまにこういった複雑な構造物の夢を見る。妙に細かい編み物の文様とか。なぜそのような複雑な構造を持つイメージが夢で具に再現されるのか、ひどく不思議に思う。そんなもの見た記憶がないのに、夢で曇りない精緻な像を結ぶ。) Read more »

『スティング』

先週の木曜の夜、何気なくBSにチャンネルを回したら、ポール・ニューマンとロバート・レッドフォード共演の映画『スティング』がやっていた。『スティング』を観る予定は立てていなかったし、そもそもそれが放映されること自体知らなかった。けれど観始めたら、何かと興味深い部分があって、ついつい最後まで観てしまった。興味深かった点は主に4点あった。映画の中における俳優の演技、その演技に深く関わるが「詐欺」をテーマにしたそのストーリー、そしてこの映画が製作された1970年という時代状況。あと、もうひとつは役者たちのファッションだ。ところで、おそろく私はこの映画を初めて観たはずだ。「はずだ」というのはその記憶が定かでないからで、もしかしたら既に観ていたかもしれないが、観た記憶がなくなっているので、当初観たとすれば、そのときはあまり集中して観ていなかった、ということになるだろう。だったらそれは、過去に観ていないということにしていいはずだが、そうも言えないのは、それなりに理由があるからだ。その理由とは、この『スティング』がロードショーされた頃(1970年代前半)、私は大の映画ファンだった。当時、私は小学生で、お小遣いで毎月、映画月刊誌『ロードショー』を購入していた。それを読むのが毎月楽しみだった。いや高学年の小学生だったのだから、読んだというよりも見たといった方が正しいかもしれない、読めない漢字があったはずだし。ルビがついていたのか、どうだったか、忘れてしまった。ともかく、それを何度も繰り返し見た。それはまさに、一人の子供によって使い込まれた玩具、いや道具のようなものだった。もちろん雑誌の『ロードショー』を買っていたからといって、小学生の身分で映画館に一人で足を運んだなどということはない。だいいち入れないでしょ、親同伴でないと。『ロードショー』は、私にとって決してリアルタイムでは観ることのできない新作映画の断片がいっぱい詰まったファンタジー(想像)の星雲のようなものだった。もちろん『スティング』のことは、この雑誌で知っていたし、そこで見たという記憶が残っている。あのニューマンがレッドフォードと肩を組んでいるポスターも。 Read more »

あれこれ

美術家の北川裕二(Y.K)です。いやはや、生活の細々したあれこれに追われて建築家のM.Tと私のふたりではじめたプロジェクト「Pace Continua」も、このブログでさえ開始してわずか数日で滞ってしまった。全くもって不甲斐ないというほかにない。だが、それも仕方がない。われわれもまずもって生活者の端くれだから。少なくと私は基本的に不安定雇用の身であるので、そこにある仕事を断ることができないし、したくはない。その結果、このプロジェクトはおろか、自身のブロクも、作品制作でさえ、しばらくままならなかった。いや、「われわれ」とひとっからげにして、彼と私を一緒くたにするのはよくない。M.Tに申し訳ない。少なくともM.Tは、コンスタントにPaceのブログをアップしていた。しようとしていた。だのに、私は仕事や日常に追われて、などというつまらん理由を言って、こうしていいわけしている。まったく情けない。これじゃあ、M.Tもプロジェクトから遠ざかるのも当然だ。けれど、仕事に追われたなどとほざいているけれど、むろん財を蓄えたなどということはない。いや、ほんとの理由はそうじゃない。書こうと思えば、書けたのだ。逃げていた?、多分。追われていたのだ。そして今もそうだ。だが、そもそも何に追われているというのか。生活に? じゃあ、その生活の実相とは何だ。私を追い立てているものは、何だ? 私は逃げているつもりでいるのに、この言いようのない暗澹とした閉塞感はなんなのだ。これが「時代閉塞の状況」というやつか。そうかもしれない。そのことについては日を改めて考えてみたい。ひょっとして、これは軽い不安神経症なのか。軽い鬱なのか。神経症のことはよくわからない。が、精神分析のことは、かつてフロイトやラカンや、あるいはそれらの入門書は、ずいぶん前に、けっこうそれなりに読んだはずだが、今こうしてなんとも落ち着かないのだから、読んだ意味が十分に内面化されなかったということになるのか。おそろくそうなのだろう。世の中も変わるが、私もかわる。しかし狂った生活習慣だけは狂いがない。妙なものだ。よくないな、この悪循環は。この円環、すなわち淀んだスパイラル状の動き、この間違った流れによって薄汚い物質がいっぱい滞留してしまっていたようだ。部屋のあちこちや、脳や心や身体に。世界と私を交換させる物質循環の仕組みを新たにデザインして組み換えてやらねばならない。老廃物でつまって捌け口を失ったエネルギーを正しく変換して、エントロピーの増大を減らす必要があるのだろう。むろんエントロピーは増大するさ。正しく廃物、廃熱する必要があるということだ。そんな思いに駆られていた。そもそもそんなわけで始めたはずのこのプロジェクト、休んでばかりもいられない。ようやく動かす気になってきた。というようりも無理にでも動かすぞ。とはいえ、何をすればよいのか。駆け出しの建築家と美術家の端くれがつるんだところで、いったい何ができるというのか。建築も美術も、もうすべてがやり尽くされた。付け足すものは何もない。終わりなき弁証法のように、次から次へと新たなテーゼ(作品)が発明・創造されたのは、いつのことだったか。まったく懐かしい限り。私に身近な過去、そう80年代のそれ、90年代のそれ、そして2000年以後、これまでの世界はどうだったか。空虚な記号(キャラ)の循環があるばかりだったじゃないか。もう、うんざりだと言いたくなる。そんなものにいつまでもしがみついてかまけている暇はないぞ。では、どうする。そして、この先、世界、とでっかくでなくても、暮らしは、営みは、文化・芸術はどんなであるべきなのか。それを、ここで考えてみようじゃないか、まずは。ある文化、文明の黄昏、斜陽の時代、枯れ枝の季節に。

農業の頃-1

こんにちは、L.T.です。PACEのブログには何を書くのがふさわしいのだろう、なんておもっているうちにすっかり日が経ってしまいました。書くとすればアートのこと、音楽のこと、社会のこと…いろいろあります。しかし、ここでまず触れるにふさわしいのは、やはり農業体験のことでしょう。というわけで、週に一度か二度、あるいは二週間にいっぺんくらいは、そのことを書くことにします。ぼくがお世話になったのは、埼玉県大里郡花園町のさる農家さんでした。今では花園町は深谷市に合併されたとおもいますが、深谷市と言われてもなんかピンときません。深谷市は深谷ねぎで有名な深谷市のことですが、お世話になった農家さんはむしろ寄居町の近くにあったのです。寄居町は、池袋から出ている東武東上線の終点「寄居」があるところです。関東平野の縁、そしてそこから秩父山脈がはじまるロケーションとしては申し分ないところなんです。観光地として有名な長瀞もすぐ近く。荒川の源流が心を洗ってくれます。新規就農を志す人にはよく知られた小川町はそのとなりにあります。池袋から寄居までは急行でおおよそ1時間30分くらい。だから、たまに都会に出て友人と会うこともできる。もっともぼくの居た場所は、その寄居ではなく、ローカル線の秩父鉄道に乗り換えて一駅目の「桜沢」か二駅目の「小前田」で下りて、30分くらい歩いたところだったから、まあ池袋までは2時間30分くらいはかかりましたけどね。けれど、この秩父鉄道がまた実にいい電車でした。いずれそのことも書きましょう。農家から駅に行くまでのあいだも美しい里山を眺めながら歩いたものでまったく苦にはなりませんでした。今ではあの穏やかな時間がとても懐かしい。ぼくはそんな土地で新規就農を目指し、住み込みで農業をで覚えようとしたというわけです。

Ciao!

PACE CONTINUAは、建築家M.T.とアーティストL.T.が立ち上げたプロジェクトです。イタリア語のPACE CONTINUAとは、日本語で「平和は続く」という意味。でも文法的に正しいのか二人ともよくわかっていません。Googleで検索してみると、どうやらネイティブの人も使っているようだし、だいいち響きがカッコよかったのでこれにしちゃおうよ! ということでつけてしまいました。それにしても「平和は続く」って、いったい何をするプロジェクトなんだろう。ぼくらも実はまだよくわかってはいないんです。でも世の中このままではまずいよね、ホントに、っていう互いの気持ちが通じて意気投合したんで、それじゃあ何かやろうよ、と。建築家とアーティストが協力すれば何かおもしろいことができるのじゃないか。それにアーティストの方は3年弱住み込んで農業を経験したこともあるし。さまざまなあれこれを繋げてそこから新たな何かをジェネレートさせていこうと。朧げながらぼんやりしたイメージはあります。これからそのぼんやりしたイメージに一つひとつカタチを与えていこうというわけなんです。で、なにからはじめようかということになったんですけど、そりゃあ、まあBlogだよね、とりあえず。というわけで、Blogからはじめることにしました。M.T.とL.T.が、これからここで興味津々のことや共感や、提案や疑問や、なんやかんやを書き綴っていきます。みなさん、どうぞよろしく。合い言葉は、PACE CONTINUA!