『半分、青い』

現在放送中の朝ドラ「半分、青い」

春からずっとみてきたけど、とてもいいドラマですね。
生きていく上での、理想や夢の大切さ。
理想や夢を抱くことの効果を伝えようとしている気がする。

これまで大抵の朝ドラは、歴史上活躍した女性の生き様が題材だったと思う。

歴史に残っている人物の人生は、ある種の人生の「お手本」なのかもしれない。
しかし、人生にはお手本がある、と捉えられることによって、それに当てはまらない大半の人々は、「人生の失敗者」となってしまう。

特に、経済が下降しつつあるこの時代には、自分のことを失敗者と考えている人が多いとするならば、朝ドラによる人生の「お手本」の弊害は大きい。

むしろ、どんな人の人生もいい時もあれば悪い時もある。

朝ドラの題材になっている人物も、ドラマでは脚色され、お手本とされたとしても、実際には満たされない部分が必ずあったのではないだろうか。

すべてが晴れ渡ることなんてない。
現実や人生は、
半分、青い。
そして、残りの半分はそうではない。

例えば、主人公のスズメちゃんは、高校生の時の夢を叶えて憧れのマンガ家のアシスタントになり、その後マンガ家としてデビューした。
ところが、その夢を叶えた途端、憧れだった仕事がどうしようもない苦痛になってしまった。

逆に、仙吉じいさんは、「センキチカフェ」のオープンを楽しみにしながら、オープンを見ることなく死を迎えた。それが、幸せな最後だった、と描かれている。
和子さんも、死の間際に、「岐阜犬」の声を担当して、悩みのある人たちを救って、ますます「岐阜犬」としての活躍を楽しみにしながら、亡くなった。

仙吉じいさんも和子さんも、幸せだったのは、それが実現しなかったとしても、死ぬまで夢や希望を抱き続けたからである。

理想とか夢は、その実現に意味があるのではなく、実現しなくても、それに向かって努力することそのものが、人生を豊かにしてくれるのである。

ドラマで描かれる主人公のスズメちゃんも、決して成功しているとは言えないが、いくら失敗しても前向きにチャレンジしつづけることで、周りの人々を幸せにしていくのである。

また、このドラマのナレーションは、とうの昔に死んでしまったお婆ちゃんの廉子さんが、生きている人の行動を見ながら、語りかける、という設定になっている。
つまり、このドラマでは、あの世の存在が前提になっている。
あの世の存在は、決して証明することができないし、また体験することもできない観念の問題である。
しかし、「あの世がない」と考えることによる、弊害もある。

あの世があると考える人は、とても半減期が1万年の放射性物質が廃棄物として出る原発を動かそうとは思わないだろうし、耐用年数が少ない上に、その解体や廃棄処分の方法も一切考えられていない建築物も、同じように「あの世なんてない」と考える現代人の時間感覚に原因がある。

あの世という観念があり、死後も空から子孫たちの生活を眺められるとしたら、彼らに迷惑がかかるようなことはできなくなるだろう。

理想や夢は、人に生きていくための手がかりを与え、人生をより豊かにするものである。
そのなかでもあの世は決して到達できない場所にあり、かつ生きるための目標や行動の規範を与えるものである。

さらに、宗教は、理想や夢を与える体系的な仕組みだといえる。

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