昨年より、サイトが、開けなくなっていましたが、やっと復旧しました。
wordpressの脆弱性により、ウィルスに感染していたようです。
プログラムをインストールしなおしたため、画像データのリンクが切れていますが、追々手直ししていきたいと考えています。
今後とも、Pace Continuaをよろしくお願いします。
昨年より、サイトが、開けなくなっていましたが、やっと復旧しました。
wordpressの脆弱性により、ウィルスに感染していたようです。
プログラムをインストールしなおしたため、画像データのリンクが切れていますが、追々手直ししていきたいと考えています。
今後とも、Pace Continuaをよろしくお願いします。
これまで、運営してきた設計事務所を株式会社化し、設計施工の総合請負のできる体制に組み替えました。新しいウェブサイトは以下の通り。株式会社グラウンドデザイン
四谷アート・ステュディウムで建築農業工作ゼミのワークショップ&ガイダンスを行ないます。関心ある方は参加しませんか。詳しくはこちら建築農業工作ゼミ
このサイトを共同運営しているY.K.がツイッターを開始したので、サイドバーにそのツイッターを追加しました。
これまで、ウェブブラウザーにFireFoxを使ってきたが、とうとうgoogleChromeを既定のブラウザに設定。FireFoxは、アドオンでいろんな機能をカスタマイズできて便利だったのですが、一度閉じると二度目からは立ち上がらないエラーがあって、すこし不便をしていた。そこで、久しぶりにChromeを使って見ると、FireFox起源の Chromeは、他のブラウザーに比べて、軽くて速い。あと、ウェブ上でブックマークを共有できるX-marksにも、いつの間にか対応していたので、FireFoxで保存していたブックマークもそのまま同期させて使うことができる。http://www.michaelvandaniker.com/labs/browserVisualization/こちらのサイトを観ると、Chromeのシェアはまだ低いようだが、お勧めできる。
サイドバーにツイッターを表示できるようにしてみました。ブログよりツイッターのほうが、手軽に文章を投稿できるので、そちらへ書く機会が増えてます。
MySpace-M.T.TwitterMySpaceにアカウントを作って見た。Twitterとも、連動させられるようなので、すこしTwitterも使ってみようかと思います。
ロースはさらに、装飾に反対する戦いは個々の専門分野を越えたものであることを示した。単なる専門家に留まらないところが、ロースの大きな強みのひとつである。彼は、人間の生活の仕方や日常の動作からも装飾を退けようと努力し、現代人がその本質にかなったあり方を獲得するのを手助けしたのである。装飾との戦いが料理の面におよべば、オーストリア料理が付け合せのほうれん草の中にも小麦粉を混ぜ合わせていることに真剣に反対することになる。つまり、生活のあらゆる面で、純粋さということを考えるのである。(フランツ・グリュック「アドルフ・ロースの横顔」ハインリヒ・クルカ編『アドルフ・ロース』P11)
最近、農業や食品に関連したいくつかのプロジェクトに関わり始めた。これまで建築という枠の中で仕事をしてきた自分が、他ジャンルに関わる場合に、どんな役割を果たせるのか、あるいは、プロジェクトそのものがどのような結果に向かうのか、自分自身もまったくわからない。しかし、既存の枠組みがほとんど機能しなくなり始めているこの時代には、”訳のわからないこと”にチャレンジするしか可能性はない。そして、「建築」という専門分野を超えて、料理についても発言をしていた、アドルフ・ロースは非常に重要な建築家/思想家である。既存の枠組みを一度バラバラに壊した上で、その部品から新しいものを作っていこうとするとき、アドルフ・ロースの専門分野を超えた視点はとても参考になる。建築史家の中谷さんが主催するアセテートで準備が進められているロースの著作集の出版も、とても楽しみだ。編集出版組織体アセテート:アドルフ・ロースのページ
このブログに使っているプログラム「Wordpress」に、ワーム感染の恐れがある、という記事が出ていたので、早速、ver2.84にヴァージョンアップした。『WordPress』旧版にワーム感染のおそれWordPress新しいバージョンでは、編集画面も大幅に変更されていて、使いやすくなっている。データのバックアップなど、すこし手間は掛かりましたが、やっておいてよかった。それと、ついでにサイドバーに、はてなアンテナを付け加えて見ました。
Pace Continuaのウェブストアを作って見ました。Pace Continua webstoreウェブショップ用のオープンソース「Zen Cart」を使っています。Zencart.comZencart.jpちなみに、このアプリケーション名にある「Zen」とは、日本語の「禅」をさしているそうです。デザインは、マニュアル本を見ながらカスタマイズしています。マニュアル本:「Zen Cartによるオンラインショップ構築・運用テクニック」肝心の商品がまだないのですが、これから増やして行きたいと思います!!
Yahoo blogにこのサイトのミラーを作って見た。Pace Continua(at yahoo blog)これまで、オリジナルのドメインを採って、ブログを書いてきたが、なかなかアクセス数が伸びない。そこで、大手の会社が運営するレンタルブログを使って見ることにした。オリジナルのドメインは、デザインや運営の自由度がある。しかし、誰かがこのサイトにリンクを張ってくれない限りは、外部の人からアクセスされる見込みがない。たまに、検索エンジンにキーワードが引っかかって訪問してくれる人もいるようだが、インターネットの大海原の中において、孤島のような存在である。いまの状況は、インターネットというより、アウトオブネットといったほうがふさわしい。いくら記事を書いてみたところで、情報が広がっていく可能性がない。一方、大手のレンタルブログは、ブログを多くの人にみてもらえるような工夫が多くなされていて、ブログを運営やすくなっている。たとえば、自分の書いた記事が、その会社のレンタルブログで書かれた新着記事をカテゴリーごとにまとめて掲載してくれる。そのため、記事を更新すればするほどアクセスの機会が増える。特にヤフーブログは、利用者が多いらしい。ということで、すこし外部との通路を確保するために、同じ記事をヤフーブログにも貼り付けてみることにした。多少でもアクセス数が増えてくれるといいのだか。。。。。
これまで、いくつかのエントリーで、将来予測される人口構成や耕地面積、ごみの処理能力について書いた。なんの前置きもなかったため、唐突な印象を与えることになったかもしれないが、実はこれらはPACE CONTINUAで進めようとしている計画のためのメモとして書かれている。まだはっきりとした着地点があるわけではないが、ある限定した広さの土地の中で、可能な限り既存の資本主義経済の生産・流通システムとは切り離された生活を提案する計画になりそうである。今後も、作業の進行の状況や計画のためのメモを、このサイトで紹介していきたいと考えている。
1/15に東京大学で行われた「鈴木博之教授退官記念連続講義」の第八回目にあたる、石山修武のレクチャーに行ってきた。この連続レクチャー、昨年の春から行われ、今回が最終回の第八回目。建築史家の鈴木博之氏と石山氏が、若い頃高山建築学校で出会って以来、盟友関係であるわけですが、普段は批評される側の立場にある建築家の石山さんが、批評する側にいる建築史家・鈴木博之をどう分析するのか、この二人がそれぞれ具体的な活動のなかでどういう影響関係があったのか、といった点で、とても興味深いレクチャーになると期待したのです。 Read more »
今週、久しぶりにY.K.と会って、打ち合わせ兼飲み会をした。
このブログも滞りがちなので、どういう内容をお互い書いて行くかについても話し合ったのだが、ともかく、書きたい事しか書けないし続かない、ということで、お互いの負担にならないよう好きな内容をお互いを意識することなく、書こうということとなった。僕も、Y.K.との協働、ということで、すこし気負いすぎていたところがあった。これからは、もう少し肩の力を抜いて、以前やっていたブログのようにマイペースで行きたいと思う。あと、以前から話題には挙がっていたウェブショップの準備を進めることになった。サイトのデザインなどは、これまで少しづつ検討してきたこともあり、下地づくりはおおよそできている。問題は、ショップの中身、商品だが、やはりまずはお互いの守備範囲からはじめることになると思う。
サイドバーにカレンダーなど、いくつかのプラグインを追加しました。このサイトで利用しているブログツールのWordPressの2.0以降のバージョンでは、ウィジェット(widget)と呼ばれる機能があり、サイドバーへのカレンダーなどのプラグインの追加や編集を簡単に出来ます。
美術家の北川裕二(Y.K)です。いやはや、生活の細々したあれこれに追われて建築家のM.Tと私のふたりではじめたプロジェクト「Pace Continua」も、このブログでさえ開始してわずか数日で滞ってしまった。全くもって不甲斐ないというほかにない。だが、それも仕方がない。われわれもまずもって生活者の端くれだから。少なくと私は基本的に不安定雇用の身であるので、そこにある仕事を断ることができないし、したくはない。その結果、このプロジェクトはおろか、自身のブロクも、作品制作でさえ、しばらくままならなかった。いや、「われわれ」とひとっからげにして、彼と私を一緒くたにするのはよくない。M.Tに申し訳ない。少なくともM.Tは、コンスタントにPaceのブログをアップしていた。しようとしていた。だのに、私は仕事や日常に追われて、などというつまらん理由を言って、こうしていいわけしている。まったく情けない。これじゃあ、M.Tもプロジェクトから遠ざかるのも当然だ。けれど、仕事に追われたなどとほざいているけれど、むろん財を蓄えたなどということはない。いや、ほんとの理由はそうじゃない。書こうと思えば、書けたのだ。逃げていた?、多分。追われていたのだ。そして今もそうだ。だが、そもそも何に追われているというのか。生活に? じゃあ、その生活の実相とは何だ。私を追い立てているものは、何だ? 私は逃げているつもりでいるのに、この言いようのない暗澹とした閉塞感はなんなのだ。これが「時代閉塞の状況」というやつか。そうかもしれない。そのことについては日を改めて考えてみたい。ひょっとして、これは軽い不安神経症なのか。軽い鬱なのか。神経症のことはよくわからない。が、精神分析のことは、かつてフロイトやラカンや、あるいはそれらの入門書は、ずいぶん前に、けっこうそれなりに読んだはずだが、今こうしてなんとも落ち着かないのだから、読んだ意味が十分に内面化されなかったということになるのか。おそろくそうなのだろう。世の中も変わるが、私もかわる。しかし狂った生活習慣だけは狂いがない。妙なものだ。よくないな、この悪循環は。この円環、すなわち淀んだスパイラル状の動き、この間違った流れによって薄汚い物質がいっぱい滞留してしまっていたようだ。部屋のあちこちや、脳や心や身体に。世界と私を交換させる物質循環の仕組みを新たにデザインして組み換えてやらねばならない。老廃物でつまって捌け口を失ったエネルギーを正しく変換して、エントロピーの増大を減らす必要があるのだろう。むろんエントロピーは増大するさ。正しく廃物、廃熱する必要があるということだ。そんな思いに駆られていた。そもそもそんなわけで始めたはずのこのプロジェクト、休んでばかりもいられない。ようやく動かす気になってきた。というようりも無理にでも動かすぞ。とはいえ、何をすればよいのか。駆け出しの建築家と美術家の端くれがつるんだところで、いったい何ができるというのか。建築も美術も、もうすべてがやり尽くされた。付け足すものは何もない。終わりなき弁証法のように、次から次へと新たなテーゼ(作品)が発明・創造されたのは、いつのことだったか。まったく懐かしい限り。私に身近な過去、そう80年代のそれ、90年代のそれ、そして2000年以後、これまでの世界はどうだったか。空虚な記号(キャラ)の循環があるばかりだったじゃないか。もう、うんざりだと言いたくなる。そんなものにいつまでもしがみついてかまけている暇はないぞ。では、どうする。そして、この先、世界、とでっかくでなくても、暮らしは、営みは、文化・芸術はどんなであるべきなのか。それを、ここで考えてみようじゃないか、まずは。ある文化、文明の黄昏、斜陽の時代、枯れ枝の季節に。