トリスタン・ツァラ「回想のダダ」

こうして 、習慣化して硬直化した、あるいは物質的利害の泥濘に埋没し切った全てのものに対する嫌悪の念が募って行くに従って、我々の精神は革命の方向へと発展して行ったのである。もっとも、この革命の方向といっても、本質的には青年時代に通有のあのネガティブな価値しか持っていなかった。が、それでも、当時の青年たちの願望に応えるものであった、と言う事はいっておかなければならない。古い者たちとは全面的に相入れない、と高言する正当な理由が彼らにはあったのである。われわれの変革への意図は、ただに、造形芸術の文学だけに留まるものではなかった。さらにすすんで、社会構造の変革とまではいかなったが、すくなくとも、高慢な倫理的規範を口にしながらも虐殺と悲惨を許してきた、あの偽善の文化を打ち壊そうとしたのである。それはまた、同時に、キュビスム、エクスプレショニスム、フュチャリスムなどといった現代の諸傾向と絶縁することでもあった。というのも、それらは、芸術の問題と生の問題とを分離し、われわれが人間に与える重要性に比して、芸術にはあまりにも過当な重要性を与えており、この点で、やはり古い理念にとらわれていたからである。われわれには、もっと大きな野心、つまり生を改革するという野心が問題だったのである。芸術は人間に奉仕すべきであり、その逆はあるべきではなかった。
トリスタン・ツァラ「回想のダダ『トリスタン・ツァラの仕事』P92

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