食物の加熱方法は多様だが、料理として洗練されていく過程で一つの加熱方法が特に重要な役割を果たしてゆくようになることから、料理史のタイプを分類するときそれが最も重要な要素であると私は考えている。
すなわち、ユーラシア大陸の西側ではオーブン=パン焼き用窯であり、東アジアでは、コシキ=蒸篭となる違いである。
人類が食物の加熱することを知ったときの方法はまず直火焼き(グリル)、次に熱灰や熱した土に埋めて焼く、容器が生まれると焼き石を入れて水を沸騰させてモノを煮るといったものだったろう。
東アジアでも西アジアでも、穀物はまず水で煮られることになる。東では、アワ、キビ(後には米)など雑穀が煮られ、西でも麦が水にされ、要するにカユとして食べられたのである。共通しているのはここまでで、これから東西は違った料理法を発達させることになる。なぜなら、初期の焼き物は土臭くて食物の味を損なったから、別の方法が求められたのであって、それが西ではパン焼き窯、東ではコシキ=蒸籠だったのである。なお、麦をいって粉にして食べる方法もある。
なぜこのようになったのか。まず東側の雑穀は夏物の作物で、脱穀して、さらに麦芽をそのままとりだすことができ、それをカユにしてもよいが、土気を嫌うので、土器で水を沸騰させ、その蒸気で穀物を蒸して食べることになった。その道具がコシキである。
西側の麦は冬作の作物で、脱穀して、麦芽を取り出そうとすると砕けて粉々になってしまうのでこれを粉にして水で練って、窯を作って間接熱で焼くという方法がとられた。パンの誕生である。湯浅赳男著『フランス料理を料理する』p59
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