人間の定義としての坐ること

 「人間」であるという定義にはいくつもある、その一つが人間以外の動物との比較でみる身体的、機能的な違いである。それは「人間が二本の足で直立しし歩くことが出来るようになったこと、そのために手で体を支える必要がなくなり、同時に両手を自由に使えることで道具を作り、火の作り方を覚え、火を使うようになった。それに脳の発達は、言葉を用い、それによってコミュニケーションを得て人間社会を作る]という見方である。
それだけだろうか。
 人間は「二本の足で歩くことが特徴である」と言われているが、それだけではないようである、「立つ」ことよりも「坐る」ことによって、足を休め、手をより自由に上手こ使えるようになったことも今日の文化を生み出した要因ではなかろうか。
「坐る」ことがなければ、今日の文明の発展はみられなかったといっても過言ではありますまい。人間が「坐る」ことを獲得したことは、「立つ」ことを獲得したことよりも更に大きな意味を持つのである。
 確かに二本の足で「立つ」ことで「歩く」ことが可能となり、人間の生活環境は、どんどん変わっていった。そして二本の足で「立つ」こと、「歩く」ことの代わりに乗り物、交通機関等、現代文明の発達に繋かってくる。これまで「立つ」ことが人間の特徴と言われてきたが、現代人は、文明の発達により、この「立つ」「歩く」ことの能力を失いつつある。これが二本の脚で「歩く」ことから「坐る」ことの方へ、大きく比重が移りつつあるからではないだろうか。
(森義明著『坐のはなし』)

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