埋立地の歴史と技術
書評:ベノア・B・マンデルブロ+リチャード・L・ハドソン著『禁断の市場 フラクタルでみるリスクとリターン』
本書の意義は、巻末の監訳者の高安秀樹氏による「訳者の言葉」にまとめられていると思う。
本書は、あらゆる科学の分野で応用されているフラクタルという基本的な概念を生み出した科学の世界の巨人、マンデルブロが、金融市場の科学は未完成の段階であり、過信すると極めて危険であることを堂々と主張しています。自然科学者としてのマンデルブロをご存知の読者は、なぜ彼が経済学者のように金融市場についてコメントするのか、といぶかしく思われるかもしれません。しかし、本書の中でも触れられているように、フラクタルという概念そのものが金融市場の研究から生まれたものであり、彼自身一貫して思索の根底には経済現象があったのです。訳者ら(高安美佐子、高安秀樹)は、1988年にイェール大学に在籍していたマンデルブロの研究室に一年ほど滞在しました。ある日、一緒に食事をしているときに、「先生は、数学者、物理学者、生物学者、そして、経済学者の四つの顔をお持ちですが、もし、一つだけ選ぶとしたら、何を選ばれますか?」という質問をしたところ、きっぱりと「経済学者」という返事を頂いたことを思い出します。
(中略)
マンデルブロの先駆的な研究がけん引する形で、物理学の視点から経済現象を研究する経済物理学という新しい学問分野が立ち上がっています。これは、金融市場などの詳細な経済データをあたかも電波望遠鏡がとらえた宇宙からの時系列信号などと同じように、客観的な視点に立って分析し、その特徴から経験的な法則性をまず確立し、さらには背後に潜む現象を解明しようという研究です。地球物理学や生物物理学などと比べればまだまだ小さな規模ではありますが、経済物理学という協会量御行の研究ジャンルが物理学会の中にも誕生しています。
今後の構想
今年は、これまでの方向性をさらに進めて、生業の建築設計ととに、未来都市構想の計画、自転車の研究、さらに不動産や金融の世界にも脚を踏み入れたいと考えている。
3.11以降、インフラに注目してきた。
今やディスプレイ上では、あらゆる煌びやかな表現が可能になっているようにみえる。
しかし、それらの表象が、地面や電気といったインフラによって支えられており、その制約を受けている。
そして、インフラに注目しない限り、現在の行き詰った状況に対処できない。
大地震は、そのことに気づかせてくれた。
それまで建築デザインや芸術などといった表象に興味をもって活動してきたが、3.11を契機にそれまでの方向性を転回せざるを得なくなったわけである。
IT金融が散策する地形
大江戸鳥瞰図
大江戸鳥瞰図
立川博章
1862年の江戸が、カラーの鳥観図で描かれ、都市の規模が実感として理解できる。
画像は、浅草・本所のページ。
建物が密集する江戸の中心部とその周囲に広がる田園と集落。
人口予測では2140年には、この時代の人口(日本の人口約3300万人)まで減少する。
駅から徒歩10分圏内(中央線西側)
柄谷行人著『憲法の無意識』(岩波書店)
自転車の物理/Physics of cycling
自転車に関する理論は、かなり錯綜しているように感じる。
(物理学の基本を無視したのものがほとんど。)
そこで、改めて自転車が進む力を物理学的に図式化してみたのが上図である。
ライダーの体重は、ハンドルとサドル、そしてペダルの三点で支えられる。
そして、ペダルで支える体重が、ペダルを回し、自転車を推進させる力になる。
鉛直方向への仕事量は、ペダルにかかる体重の位置エネルギーに等しいから、質量と鉛直方向への移動距離(つまり、クランクの直径)と重力加速度との積になる。
また、速度を上げるためには、時間当たりの仕事量=仕事率W(ワット)を増やせばいい。
仕事率は、仕事量と毎秒の回転数の積として、以下の式で表される。
仕事率(W)=Mp(kg) • 0.34(m) • 2 •G(N/kg) • n (/sec)
この式から、ペダルにかかる体重かケイデンスを上げることができれば、仕事率が大きくなり、速度も上がる。
この図式に基づけば、セッティングやペダリングを合理的に考える事ができる。
例えば、ペダルを回すのに、重いギアでゆっくりか、軽いギアで速くか、どちらが優れているか、という議論がある。
これは上記の図式から考えれば、答えは明らかである。
先に記した通り、仕事率は単位時間あたりの加えられる力と距離の積であり、ギア比は、仕事率に直接関係しない。
よって、ペダルに同じ力がかけられるのであれば、速く回した方が、大きな仕事量を得ることができる。ただ、軽いペダルに十分な体重を載せることが、技術的に難しいだけである。
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佐藤優によるトランプ現象についての分析
「新自由主義は個人をアトム化してバラバラにする、新自由主義には、経済主体が行動するにあたって、障害になる規制を全て除去するという「排除の思想」が組み込まれています。さらに新自由主義のゲームのルールでは、市場で勝利したものが成果を総取りできる。その結果、グローバル資本主義のもとら資本主義は巨大な格差を生み出し続けることになったのです。
一方、貧困層が増えて個人がバラバラになると、民族や国民としての連帯感がうすれ、国民統合を内側から壊しかねない。生活不安の矛先が国家に向かい、国家の、徴税に支障をきたす。こうして国家が弱体化していきます。そこでグローバル化で生じる危機に対抗するため、再び国家機能の強化が行われるわけです。
さらに、2001年の同時多発テロ事件や2008年のリーマンショクを経て、アメリカの覇権が弱体化すると、各国が露骨な国益を主張する群雄割拠の帝国主義に突入しました。ただし、現代の新帝国主義はコストのかかる植民地を持たず、全面戦争を避けようとする点で、かつてとは異なるのです。
こうしてみるならば、現代は新自由主義と新帝国主義が同時に進行している時代と捉えることができるでしょう。
アメリカ大統領選で、トランプが支持を集めた背景を的確に理解するためには、こうした大局的な歴史理解が欠かせません。」佐藤優著『大国の掟―「歴史×地理」で解きほぐす』 (NHK出版新書 502)
名古屋中心部の再開発
Mechanics and Geometry Of bicycle
時代錯誤の政治シナリオ
上記リンクさきにある「緊急提言」に関連して。
金利が下げざるをえないというのに、株価の上昇だけみて、景気が上向き、というのは詭弁でしかない。
そりゃあ、年金など、これまで株式市場に入ってなかった金を大量に投入すれば、株価は上がります。
表面的に景気回復を演出して、自民党への支持が延命しているうちに、マイナス成長時代に対応する社会制度をしっかりつくってしまおうという魂胆。
この夏の選挙の争点になりそうな、憲法の改正は、その1つ。
戦前の国民はお国のためなら、命も投げ出した。
自民党のシナリオとしては、戦前の制度をもう一度作り直せば、多少の貧富の差や不公平な制度があっても、国民は皆ら従順に従うだろう、というところ。
だけど、人の行動ってそんな簡単に制度を作り変えるだけで、操作できるもんじゃないと思うんですよね。
やはり、戦前の国への信頼って、制度とかいう表面的なものではなく、それを成立させるような地盤があったと思う。
例えば、人口の年次変化をみると、明治維新からのものすごい勢いで増加する。
人口増の背景には、それを支える食料の増産もあるわけだし、この時代に生きていた人たちは、様々な生活スタイルの変化に圧倒され、それが幕府に代わって打ち立てられた新しい明治政府への信頼につながっていったんじゃないでしょうかね。
つまり、制度が国への信頼を作ったのではなく、リアルな生活様式の変化が国への信頼を作っていったんだとおもうわけです。
憲法を変えようが何をしようが、マイナス成長の経済は止められないし、人口も減り続ける。
根本的に明治とは時代が違う。
今、自民党が浅知恵で考えているようなシナリオは、遅かれ早かれ破綻すると思う。
運動能力と建築
最近、子供の運動能力が低下しているという話をよく耳にすると思いますが、運動能力の低下は子供だけではなく大人も一緒です。しかもそれはハッキリしています。それは正座をしなくなったことと、トイレが和式ではなくなったことです。僕達の世代を含めて足首の硬い日本人が本当に多くなりました。これは生活習慣が変わったことに起因しているのは間違いないでしょう。」(堂城賢著『自転車の教科書』P84)
「自転車では、足首の硬さが如実にフォームや動作の素早さに影響します。足首が硬いと後傾になってしまうわけですから。ほかにも足首が硬いと衝撃を吸収する動作自体ができないし、「ペダリング」にも多大な影響が出るのです。足首を柔らかくすることは運動能力を上げることに繋がるのです。」(同書P87)
奈良・京都が都になった理由
奈良が都になる4世紀頃、大坂平野の奥まで海と川が混じる湿地帯が広がっていた。まさに河内と呼ばれた地であった。
船で瀬戸内海から大坂湾に入り、上町台地を回り込み、大和川を遡ると生駒山、金剛山の麓まで行くことができた。中国大陸から生駒山麓の柏原市まで直接舟で行けたのだ。柏原で小舟に乗り換え生駒山と金剛山の間の亀の瀬を越えると、もうすぐそこは奈良盆地であった。
この奈良盆地には、大きな湿地湖が広がっていた。その湿地湖を利用すれば奈良盆地のどこにでも舟で簡単に行くことができた。
奈良盆地全体が、大坂湾の荒波を避ける穏やかな自然の内港のようであった。
舟を利用すれば奈良盆地は便利がよく、ユーラシア大陸との連絡も容易であった。奈良盆地が日本の都になったのは、地形から見て合理的であった。
しかし、この奈良盆地を抱える大和川流域はいかにも小さい。図1では豆粒ほどだ。
川の流域が小さいということは、資源が少ないということであった。
川の流域が支配する資源は「水」と「森林」であり、水は生命の源で、森林はエネルギーの源である。大和川の流域の小さい奈良盆地は、この「水」と「森林」に限度があった。変貌した奈良盆地
生物の中で人間だけが燃料がなければ生きていけない。文明の誕生と発展にとって燃料すなわちエネルギーは絶対的なインフラであった。19世紀に石炭と出会うまで日本文明のエネルギーは木であった。
エネルギーだけではない。日本の寺社、住居、橋、舟など、構造物はすべて木造であった。モンスーン地帯の日本は森林が豊かであり、木材は潤沢に手に入った。
エネルギーであり資源となった森林は日本文明存続の大前提であった。
故・岸俊男氏(奈良県立橿原考古学研究所長)の推定では、平城京内外に10万から15万の人々が生活していたという。
また、作家の石川英輔氏によれば燃料、建築などで使用する木材は、江戸時代一人当たり1年間で20~30本の立木に相当する量であったという。
奈良時代でも一人当たり最低10本の立木は必要であったと推定すると、奈良盆地で年間100万から150万本の立木が必要となる。いくら日本の木々の生育が良いといっても限度がある。毎年毎年100万本以上の立木を伐採していたのではたまらない。その量は小さな大和川流域の森林再生能力をはるかに超えていた。
森林伐採がその再生能力を超えれば、山は荒廃する。
荒廃した山に囲まれた盆地は、極めて厄介で危険である。荒廃した山では保水能力が失われ、沢木や湧水が枯渇し、清潔な飲み水が消失していく。
また、雨のたびに山の土砂が流出し、盆地中央の湿地湖は土砂で埋まり奈良盆地の水はけは悪化していく。
水はけが悪くなれば、生活汚水は盆地内でよどみ不衛生な環境となり、さまざまな疫病が蔓延していく。また、水はけが悪ければ雨のたびに木が溢れ、住居や田畑が浸水してしまう。
桓武天皇がこの奈良盆地を脱出し、大和川より何倍も大きく「水」と「森」が豊かな淀川流域の京都に遷都したのは当然であった。
(竹村公太郎著『日本史の謎は「地形」で解ける』p366)