Before- & Afterimages:出版不況出版状況クロニクル田中純氏のブログに出版不況について書かれている。出版社に勤める知人から、出版社の経営が下降気味である、と聞いたことがあったが、こういう形で、再び同じ話題を聞くと、いよいよこの話題に注目が集まり始めているのかな、という気がしてくる。以前、建築と建築雑誌との関係について書いたが、芸術としての「建築」にとって、建築雑誌はとても重要な役割がある。建築物は地面に固定されるため、実物の建築を情報として流通させることはできない。芸術としての「建築」が情報として流通し多くの人々に伝達されるためには、書籍や雑誌などのメディアを経由する必要がある。それゆえに、芸術としての「建築」は、実物の建築よりも、むしろ書籍や雑誌のメディアの性質に大きく規定されることになる。 Read more »
Author Archives: M.T. - Page 16
中国国営テレビ付属ビルが全焼
中国国営テレビ付属ビルが全焼レム・コールハースが設計した中国国営テレビ付属ビルが全焼したようだ。コールハースの建築が、火災によって、まさにコールハースのコンセプトである「ジャンクスペース」そのものになってしまった。火災によってどの程度建築物が損傷を受けているのか。その程度によって、この「ジャンク」の再利用の範囲も決まるのだろう。この建物は、模型写真やCGでは見たことはあったのだが、ここまで工事が進んでいたことはこの火災のニュースで始めて知った。しかし、足場も外れて、いよいよ完成という時に、このような大規模な火災に見舞われるとは、運が悪いとしかいいようがない。写真は、「ケンプラッツ」より転載。 Read more »
人口推移
国立社会保障・人口問題研究所 上記の研究所で公表している2055年日本の人口ピラミッド。総人口は、約9000万人の予測。 Read more »
変化する自然の中の変化する人間
自然はつねに同一であるというポピュラーな信念-これまで環境決定論という静態的な理論ならびにその同様に静態的な否定論を生み出してきた信念-とは反対に、人間が時には単純な、時には複雑な歴史的原因に対応して、その技術的用具・社会組織・世界観を根本的に変化されるときにはいつでも、自然も根本的に変化しているのである。人間は決してその自然環境に作用することをやめない。人間は不断に自然を変形し、彼の努力が彼に新しい水準の活動をもたらすときにはいつでも、人間は新しい[生産]力を現実化しているのである。新しい水準の活動に到達しうるかどうか、到達したとしても、それがどこに導くかは、第一には、制度的秩序、第二には、人間活動の究極の対象-人間活動が獲得しうる物理的、科学的、生物的世界-に依存する。制度的条件が同一であるならば、自然的背景の相違が新しい形態の技術・生活・社会管理の発展を可能にしたりするのである。(『オリエンタル・デスポティズム』カール・A・ウィットフォーゲル著・湯浅赳男訳・新評論)
ごみ処理の流れ
現代のごみ処理の流れとごみの分類。 森下研著『ごみ問題をどうするか』(岩波書店)より抜粋 Read more »
野武士世代の退官
鈴木博之さんが今年度で東京大学の教授を退官される。また、芸大では、六角鬼丈さんも。鈴木博之さんは、1945年生まれの建築史家。六角鬼丈さんは、1941年年生まれの建築家である。同じく1941年生まれの安藤忠雄は、すでに2003年に東大の教授を退官されている。また、石山(修武)さんは1944年生まれ、藤森照信は1946年生まれだから、あと数年後には退官になる。 Read more »
鈴木博之退官記念連続講義第八回 石山修武
1/15に東京大学で行われた「鈴木博之教授退官記念連続講義」の第八回目にあたる、石山修武のレクチャーに行ってきた。この連続レクチャー、昨年の春から行われ、今回が最終回の第八回目。建築史家の鈴木博之氏と石山氏が、若い頃高山建築学校で出会って以来、盟友関係であるわけですが、普段は批評される側の立場にある建築家の石山さんが、批評する側にいる建築史家・鈴木博之をどう分析するのか、この二人がそれぞれ具体的な活動のなかでどういう影響関係があったのか、といった点で、とても興味深いレクチャーになると期待したのです。 Read more »
G-Project(sketch)
ある木造住宅のためのスケッチ。前作で試みたテーマの展開。いくつかに折り曲げられた形状を屋根に用いることで、伝統的な家型だけでなく、近似する複数のイメージを連想させるデザイン。
浅草文化観光センターコンペティション当選案
「浅草文化観光センターコンペティション」先日のエントリーで、こちらからの提案を公開した「浅草文化観光センターコンペティション」。当選したのは、隈研吾建築都市設計事務所案でした。ウェブでは、上のような外観イメージが公開されている。 Read more »
派遣村用緊急非難テント案(スケッチ)
ニュースで、派遣切りにあった人たちのために日比谷公園に開村された派遣村について、知った。村といっても、映像ではキャンプ用のテントを張って寝泊りしているようだった。そこで、建築家としてなにかいいアイデアを提案できないかと思って、スケッチを描いてみた。スタイロフォームを基礎にして、合板を床材として貼り、農業用資材で、屋根を覆う。公園を占拠して村を設営する場合、通常の野外キャンプとは違い、トラックによる輸送もできるし、ある程度の期間滞在することになるのだから、多少材料が重く、設営に時間がかかったとしても、居住性を重視すべきかと考えた。部材やジョイントの強度や出入り口などのディテール、建設プロセスなど、問題点が多いものの、ここから検討を進めれば、ローコストでそこそこ居住性の高いテントが出来るのではないかと思う。 Read more »
浅草文化観光センターコンペティション応募案
先日、開催された浅草文化センターコンペティションへの応募案。浅草で行われているお祭りを、建築を利用して作り直そうとした。 Read more »
「現代日本の建築」2
当たり前のことですが、建築は地面に固定される。実物を見るためには、その土地に足を運ばなくてはならない。とても手間がかかる。インターネットでクリックすれば、簡単に手に入れることの出来る情報とは、真逆の不便な情報だ。なので、建築に関する情報は、実物の建築物ではなく、写真や図面によって伝達される機会が多くなり、建築関する情報の流通にとって、書籍や雑誌は、重要な存在になる。また、本は、建築に権威を与える。美術品であれば、美術館に展示されることによって、権威が与えられるが、建築は美術館に展示できない。町には、無数の建築物が建っているが、その無数の普通の「建築物」と、芸術としての「建築」とを、本は区分けする働きがある。つまり、建築物は、本に掲載されたとき、芸術としての「建築」として認識されるようになる。例えば、大学の建築学科の教授や講師の募集条件をみると、手掛けた作品が建築雑誌に掲載されることが必要とされていることが多い。実は、大学などのアカデミックな世界ですら、建築ジャーナリズムの情報を基礎に作られている部分がある。そんな芸術としての「建築」を作り出す制度を利用して、お金儲けをしようとしたのが、この「現代日本の建築」なのだろう。一作品の掲載で、15万円の出品料が手に入るとすれば、100作品分で、1500万円もの売上げを出すことができる。一冊15,750円もするこの本が、どの程度売れるのか。それほど多くの発行部数はないと思えるのだが、この本に高い出品料も、自分の作品を芸術に仕立て上げるためには、十分支払う価値がある、と多くの建築家が考えているのだろう。しかし、芸術としての「建築」が、こんな詐欺まがいの仕組みで作り出されていいはずがない。そのうちに、こんな制度のうえに作られている芸術としての「建築」にも、”恐慌”が来るのではないだろうか。
「現代日本の建築」
”現代日本の建築”の正体。。。。先日、出品申込書がうちの事務所に届いたのだが、出品料はなんと157,500円!!建築メディアには、編集者によってセレクトされた良質な建築が掲載されていると考えている人が多いと思うのですが、今は建築メディアのページも金で買える時代になったようである。 Read more »