そんなときこの列島社会の全面的な制度設計がやり直されねばならない。アーキテクトが別次元の建築的設計をやらねばなるまい。しかし、後醍醐帝や秀吉のようにひとりの権力者がやれるとは思えない。ジャファーソンのように、フリーメーソンにはいり、パラディアニズムを丸写しすればナショナル・アイコン足りえたほどに容易な時代ではありません。いま、この列島の内乱状態を突き抜けることを可能にする建築は「建武式目」のような「物狂いの沙汰」でなければならないことだけははっきりしています。月が二つ並んで見える程度じゃ、列島沈没でしょう。もはや後醍醐帝が手がかりにした朱子学も、ジェファーソンがコピーしたフランス革命の自由・平等・博愛の三徳目も使いつぶされました。世界中探してもモデルがないのです。
(磯崎新「建築-不可視から不可侵へ」『atプラス08』p37)
『atプラス08』に、磯崎新の3.11後の建築論である「建築-不可視から不可侵へ」が掲載されている。
具体的なビジョンについては、触れられていないが、「アーキテクトが別次元の建築的設計をやらねばならない。」「建武式目」のような「物狂いの沙汰」でなければならない。」と3.11後の建築に対する予感を語っている。
たしかに、それくらいの構想でなくては、直面している現実には対応できないだろう。
いま建築家が持つべき心構えとして、メモしておく。