学生作品の講評会に絡めて

先日、今年度非常勤講師を務めてきた学校の学生の課題の講評会に行ってきた。そのことについて、感想をすこし書いておきたい。建築を勉強し始めて一年目の学生たちが相手なので、それらの作品のレベルをどうこういうつもりはない。しかし、多くの学生が、いまだに「主体」信じて作品を作ろうとしていることには、違和感を感じた。 Read more »

生存のために必要な栄養素

生活の基本を「衣食住」というように、人間が生きていくために食べ物を欠くことはできない。そして、食によって摂取しなくてはならない栄養素を大きく分けると、以下の5つになるらしい。よく、お金を稼ぐために働くことを「食うために働く。」などと表現するが、これらの栄養素を入手さえできれば、お金がなくても生きられる。逆にお金を持っていても、これらの栄養素を入手できなければ生きられない。お金を出せば、食べたいだけの食料が手に入る流通の仕組みが、今のところうまく機能しているために、この 当たり前のことが、意外と忘れられている。。。。。しかし、近い将来、人口の増加に対して、食料の供給が追いつかなくなるという予想が立てられている。お金を出せば、食べたいだけの食料が手に入るという仕組みが永遠に機能しつづける保証はどこにもない。 Read more »

ごみの処理能力

現在、日本では、一年間に約4億5000万tの廃棄物(一般廃棄物と産業廃棄物の合計)が排出されています。そのうち約6000万tの廃棄物がそれ以上処理が出来ない廃棄物として最終処分場に埋めたれられています。このまま廃棄物の排出量が増え続ければ、最終処分場がいっぱいになってしまいます。たとえ当面の間、最終処分場を確保することが出来たとしても、いつか必ずこれ以上は廃棄物を埋め立てれられないという状況が必ずやってきます。(『ごみ問題100の知識』p40(左巻健男・金谷健編著 東京書籍2004年)

出版不況と「建築」

Before- & Afterimages:出版不況出版状況クロニクル田中純氏のブログに出版不況について書かれている。出版社に勤める知人から、出版社の経営が下降気味である、と聞いたことがあったが、こういう形で、再び同じ話題を聞くと、いよいよこの話題に注目が集まり始めているのかな、という気がしてくる。以前、建築と建築雑誌との関係について書いたが、芸術としての「建築」にとって、建築雑誌はとても重要な役割がある。建築物は地面に固定されるため、実物の建築を情報として流通させることはできない。芸術としての「建築」が情報として流通し多くの人々に伝達されるためには、書籍や雑誌などのメディアを経由する必要がある。それゆえに、芸術としての「建築」は、実物の建築よりも、むしろ書籍や雑誌のメディアの性質に大きく規定されることになる。 Read more »

中国国営テレビ付属ビルが全焼

中国国営テレビ付属ビルが全焼レム・コールハースが設計した中国国営テレビ付属ビルが全焼したようだ。コールハースの建築が、火災によって、まさにコールハースのコンセプトである「ジャンクスペース」そのものになってしまった。火災によってどの程度建築物が損傷を受けているのか。その程度によって、この「ジャンク」の再利用の範囲も決まるのだろう。この建物は、模型写真やCGでは見たことはあったのだが、ここまで工事が進んでいたことはこの火災のニュースで始めて知った。しかし、足場も外れて、いよいよ完成という時に、このような大規模な火災に見舞われるとは、運が悪いとしかいいようがない。写真は、「ケンプラッツ」より転載。102.jpg Read more »

人口推移

国立社会保障・人口問題研究所 上記の研究所で公表している2055年日本の人口ピラミッド。総人口は、約9000万人の予測。2055人口構成予測 Read more »

日本の耕地面積(平成20年)

農林水産省HP:平成20年耕地面積 (7月15日現在)田・畑種類別耕地面積の推移

変化する自然の中の変化する人間

自然はつねに同一であるというポピュラーな信念-これまで環境決定論という静態的な理論ならびにその同様に静態的な否定論を生み出してきた信念-とは反対に、人間が時には単純な、時には複雑な歴史的原因に対応して、その技術的用具・社会組織・世界観を根本的に変化されるときにはいつでも、自然も根本的に変化しているのである。人間は決してその自然環境に作用することをやめない。人間は不断に自然を変形し、彼の努力が彼に新しい水準の活動をもたらすときにはいつでも、人間は新しい[生産]力を現実化しているのである。新しい水準の活動に到達しうるかどうか、到達したとしても、それがどこに導くかは、第一には、制度的秩序、第二には、人間活動の究極の対象-人間活動が獲得しうる物理的、科学的、生物的世界-に依存する。制度的条件が同一であるならば、自然的背景の相違が新しい形態の技術・生活・社会管理の発展を可能にしたりするのである。(『オリエンタル・デスポティズム』カール・A・ウィットフォーゲル著・湯浅赳男訳・新評論)

ごみ処理の流れ

現代のごみ処理の流れとごみの分類。 森下研著『ごみ問題をどうするか』(岩波書店)より抜粋ごみ処理の状況 Read more »

野武士世代の退官

鈴木博之さんが今年度で東京大学の教授を退官される。また、芸大では、六角鬼丈さんも。鈴木博之さんは、1945年生まれの建築史家。六角鬼丈さんは、1941年年生まれの建築家である。同じく1941年生まれの安藤忠雄は、すでに2003年に東大の教授を退官されている。また、石山(修武)さんは1944年生まれ、藤森照信は1946年生まれだから、あと数年後には退官になる。 Read more »

土の物理性-固相、液相、気相

tsuchi-sansou-bunpu.jpgこの円グラフは、土を固体の相、液体の相、気体の相に分けて、その割合をグラフ化したものだ。これを土の三相分布と呼ぶ(『土壌の基礎知識』)。 Read more »

鈴木博之退官記念連続講義第八回 石山修武

1/15に東京大学で行われた「鈴木博之教授退官記念連続講義」の第八回目にあたる、石山修武のレクチャーに行ってきた。この連続レクチャー、昨年の春から行われ、今回が最終回の第八回目。建築史家の鈴木博之氏と石山氏が、若い頃高山建築学校で出会って以来、盟友関係であるわけですが、普段は批評される側の立場にある建築家の石山さんが、批評する側にいる建築史家・鈴木博之をどう分析するのか、この二人がそれぞれ具体的な活動のなかでどういう影響関係があったのか、といった点で、とても興味深いレクチャーになると期待したのです。 Read more »

土の性質-物理的性質、化学的性質、微生物的性質

土の性質(『土壌の基礎知識』前田正男、松尾嘉郎共著・農文協刊より)ここからわかるように、複雑な土の性質を分けてみると、物理的性質、化学的性質、微生物的性質に分けることができる。『土壌の基礎知識』によれば、物理的性質とは、土の堅さだとか、水はけの善し悪しだとか、通気性などのことをいい、化学的性質とは、土がアルカリ性や酸性になることや、鉄やアルミニウムの多い土は作物にリン酸が吸収されにくいなどのことをいい、微生物的性質とは、畑に施したアンモニアが硝酸に変化することや、水田に水を張ると作土が酸素不足の状態(還元)になることなどをいう。 Read more »

農業技術と農政

農業をよりよく知るにはどうしたらよいか。ぼくがおもうに、その接近の仕方には二種類ある。ひとつは、農業を技術という実際的な側面からみるというもの。ふたつめは、農政、つまり農業を農業政策や経済的な観点からみていくというもの。学問的にも、これらふたつは分けられているようだ。 Read more »

G-Project(sketch)

G-project-stketch1ある木造住宅のためのスケッチ。前作で試みたテーマの展開。いくつかに折り曲げられた形状を屋根に用いることで、伝統的な家型だけでなく、近似する複数のイメージを連想させるデザイン。

浅草文化観光センターコンペティション当選案

隈研吾建築都市設計事務所案 「浅草文化観光センターコンペティション」先日のエントリーで、こちらからの提案を公開した「浅草文化観光センターコンペティション」。当選したのは、隈研吾建築都市設計事務所案でした。ウェブでは、上のような外観イメージが公開されている。 Read more »

派遣村用緊急非難テント案(スケッチ)

テントスケッチ1ニュースで、派遣切りにあった人たちのために日比谷公園に開村された派遣村について、知った。村といっても、映像ではキャンプ用のテントを張って寝泊りしているようだった。そこで、建築家としてなにかいいアイデアを提案できないかと思って、スケッチを描いてみた。スタイロフォームを基礎にして、合板を床材として貼り、農業用資材で、屋根を覆う。公園を占拠して村を設営する場合、通常の野外キャンプとは違い、トラックによる輸送もできるし、ある程度の期間滞在することになるのだから、多少材料が重く、設営に時間がかかったとしても、居住性を重視すべきかと考えた。部材やジョイントの強度や出入り口などのディテール、建設プロセスなど、問題点が多いものの、ここから検討を進めれば、ローコストでそこそこ居住性の高いテントが出来るのではないかと思う。 Read more »

浅草文化観光センターコンペティション応募案

先日、開催された浅草文化センターコンペティションへの応募案。浅草で行われているお祭りを、建築を利用して作り直そうとした。浅草文化センター Read more »

「現代日本の建築」2

当たり前のことですが、建築は地面に固定される。実物を見るためには、その土地に足を運ばなくてはならない。とても手間がかかる。インターネットでクリックすれば、簡単に手に入れることの出来る情報とは、真逆の不便な情報だ。なので、建築に関する情報は、実物の建築物ではなく、写真や図面によって伝達される機会が多くなり、建築関する情報の流通にとって、書籍や雑誌は、重要な存在になる。また、本は、建築に権威を与える。美術品であれば、美術館に展示されることによって、権威が与えられるが、建築は美術館に展示できない。町には、無数の建築物が建っているが、その無数の普通の「建築物」と、芸術としての「建築」とを、本は区分けする働きがある。つまり、建築物は、本に掲載されたとき、芸術としての「建築」として認識されるようになる。例えば、大学の建築学科の教授や講師の募集条件をみると、手掛けた作品が建築雑誌に掲載されることが必要とされていることが多い。実は、大学などのアカデミックな世界ですら、建築ジャーナリズムの情報を基礎に作られている部分がある。そんな芸術としての「建築」を作り出す制度を利用して、お金儲けをしようとしたのが、この「現代日本の建築」なのだろう。一作品の掲載で、15万円の出品料が手に入るとすれば、100作品分で、1500万円もの売上げを出すことができる。一冊15,750円もするこの本が、どの程度売れるのか。それほど多くの発行部数はないと思えるのだが、この本に高い出品料も、自分の作品を芸術に仕立て上げるためには、十分支払う価値がある、と多くの建築家が考えているのだろう。しかし、芸術としての「建築」が、こんな詐欺まがいの仕組みで作り出されていいはずがない。そのうちに、こんな制度のうえに作られている芸術としての「建築」にも、”恐慌”が来るのではないだろうか。

「現代日本の建築」

”現代日本の建築”の正体。。。。先日、出品申込書がうちの事務所に届いたのだが、出品料はなんと157,500円!!建築メディアには、編集者によってセレクトされた良質な建築が掲載されていると考えている人が多いと思うのですが、今は建築メディアのページも金で買える時代になったようである。現代日本の建築 Read more »